サラリーマンたちが“滅私奉社”の精神で“社畜”とさげすまれながら、いちずに働きつづけていた時代があった。
ところが、ここにきて、浮かれ調子で設備も拡大し、人員を増やしてきた企業のほとんどが、縮小に走らざるをえなくなった。
10年を経た相田の著作がベストセラー入りをしたのは、こうして苦境に追いこまれたサラリーマンたちが、彼の作品に救いをもとめたからといえなくもないのだ。彼らは、会社に向けていた関心を、自分自身に向けないわけにはいかなくなった。“滅公奉私”に変ってきたのだ。
つらかったろうなあ
くるしかったろうなあ
うん うん
だれにもわかって
もらえずになあ
どんなに
つらかったろう
うん うん
泣くにも泣けず
つらかったろう
くるしかったろう
うん うん
強がりなんか
いうことないよ
やせがまんなど
することないよ
だれにえんりょが
いるもんか
声をかぎりに
泣くがいい
ただひたすらに
泣けばいい
くるしかったろうなあ
うん うん
だれにもわかって
もらえずになあ
どんなに
つらかったろう
うん うん
泣くにも泣けず
つらかったろう
くるしかったろう
うん うん
強がりなんか
いうことないよ
やせがまんなど
することないよ
だれにえんりょが
いるもんか
声をかぎりに
泣くがいい
ただひたすらに
泣けばいい
逆境に追いつめられた人間は、自分だけが不幸であるように思いがちだ。そのために、相田の作品で、
だれにだって
あるんだよ
ひとにはいえない
くるしみが
だれにだってあるんだよ
ひとにはいえない
かなしみが
ただだまっている
だけなんだよ
いえばぐちに
なるから
あるんだよ
ひとにはいえない
くるしみが
だれにだってあるんだよ
ひとにはいえない
かなしみが
ただだまっている
だけなんだよ
いえばぐちに
なるから
という詩にほっとして、つぎにどうしようかと考える意志が生まれる。
相田自身、
「自分の本心に聞くこと、そして、自分の本心できめればいい。自分の本心できめたものならば悔いが残らない。自分自身が納得できる、自分自身が納得して生きる。それが、人間としての本当の生き方だから…」
といっている。