追いつめられた人間を救う作品
しかし、その作品が生まれるまでには、壮絶で凄惨な背景があった。
“赤貧洗うがごとし”ということばがあるが、文字通り貧しい生活のなかでの仕事であった。しかも、仕事については妥協をしない。
「収入を得るために別の仕事をしようとすれば、どうしてもそれに頼ってしまう」といって、決して内職をしようとはせず、自分をつきつめて考え、その果ての苦しみなどを作品に結実させた。
妻にも、内職を許さず、書を書き溜めていった。収入の道は、結果としては“書”になるが、かなり溜まらなければ“個展”はひらけない。その間は収入はゼロだ。
書を活かすために、中国製の画簡紙という高価な紙を使う。ひとつの作品を描きあげるために、何百枚もの紙を使う。それでも、相田はとん着しない。どうせ書き損じるのなら練習用に質のわるい紙を使えばよいのではないかと思うのだが、相田は決してそうはしなかったという。
かかげて
歩け看板を
だれのもの
でもない
自分の
いのちの
看板を
との作品通り、「いちずに一本道」を歩きつづけたのである。
しかし、彼もふと本音をうたうときがあった。
「じぶんがじぶんに いやになるとき」という作品がある。
のにほしく
ないような
ふりを
するとき
相田は、よく講演を頼まれたが、そのようなとき、
「講演会の主催者から講演料をたずねられると『いくらでもいいんですよ』といいながら、本心はたくさん下さるとうれしいんです。これはどうしようもない」
と率直に語っている。