発明王が56歳の時にこぼした言葉
俺の人生は苦境の連続だよ
エディソン(発明家)
「発明王」として知られているエディソン。蓄音機、電信機、電話機、白熱電球、アルカリ蓄電池など数々のものを発明、改良し、人類の生活を大きく変えていった偉人である。
エディソンが生涯で取得した特許は1300以上という。最初の特許取得が22歳の時であるから、それから亡くなるまでの62年間、平均で毎年約21件、毎月2件近くの特許をとり続けた計算になる。まさに「発明王」と呼ばれるのにふさわしい人物だといえよう。
そんな彼が56歳の年に、入社したての人物に
「俺の人生は苦境の連続だよ」
と語っていたという。華やかに思えるエディソンの人生は、本当に「苦境の連続」だったのだろうか。
エディソンが正規の学校教育をほとんど受けておらず、小学校は3カ月で退学した、というのは有名な話だ。
「1+1はなぜ2になるの?」
そんなごく基本的なことに「なぜ?」「なぜ?」と疑問を投げかけ続けたことが原因だったともいわれる。
その後、母からの教えと独学で学び、12歳の時には鉄道内で新聞を売る仕事をした。その列車内で実験室をつくったのだが、誤って爆発事故を起こして車掌に殴られ、耳に障害を負ったという逸話もある。これにより、のちに蓄音機などの発明の際、不自由することになる。
訴訟は多く、妻は若くして死別…
エディソンの最初の発明は「電気投票記録機」だったが、これは需要がなくまったく売れなかった。
「発明王」となってからも苦境は続いた。電気自動車も発明したが、コスパが悪く売れなかった。ヘリコプターも発明しようとしたが、途中で爆発事故を起こし、開発をあきらめざるを得なくなってしまったという。
特許はたくさんとったが、その分それに絡む訴訟も多かった。エディソンのことを「訴訟王」と呼ぶ人もいるくらいだ。訴訟には勝ったが、多額の費用がかかってしまったがために会社を追われる事態になったこともある。
9つも若い技師と送電方法で争い、露骨な非難合戦を展開した挙句、結局敗れるという事件もあった。
他にも発明、訴訟、事業の成否などにかかる失敗や困難は数知れない。
プライベートにおいても、苦労は絶えなかった。24歳の時16歳の若い妻を娶ったのだが、彼女は29歳の若さで死去してしまったのだ。
こうして見ていくと、「苦境の連続」というのは、決して誇張とはいえないのではないかと思えてくる。
エディソン本人にしてみれば、
「人生は1%の幸福99%の苦境」
という気分だったのかもしれない。