12歳で父を亡くし、印刷工場で働きはじめた

また働かなくてはならない

マーク・トウェイン(小説家)
人間愚痴大全』より(イラスト=アライヨウコ)
マーク・トウェイン 1835年-1910年。フロリダ生まれ。本名、サミュエル・ラングホーン・クレメンズ。アメリカ・リアリズム文学を代表する作家と称される。『トム・ソーヤの冒険』や『ハックルベリ・フィンの冒険』は30~50以上の言語に翻訳されている。

アメリカの文豪ヘミングウェイが「すべてのアメリカの文学作品はそれに由来する」と評したのが、マーク・トウェインの『ハックルベリ・フィンの冒険』である。彼の作品には、独立宣言ののち、徐々に世界の大国へと移り変わりつつあった新大陸アメリカの夢と開拓者精神とが詰まっているといわれている。

1835年、彼が生まれた年は、70数年ぶりにハレー彗星が見られた年だ。まさに彗星のごとく文壇に登場するのを予言していたかのようである。

12歳の時に父を亡くした彼は、学校をやめ、印刷工場で働きはじめた。

その翌年、アメリカはメキシコからカリフォルニアを獲得。その地で金鉱が発見され、ゴールドラッシュが起こっている。西部開拓が盛んとなる頃、トウェインは、青年へと変わろうとしていた。

22歳の年に、彼は長年の夢だったミシシッピ川蒸気船の水先案内人となる。その時、たくさんの人々と出会い、人間を観察する目を養ったという。

1861年、南北戦争が起こると、蒸気船の仕事は停止となり、彼は2週間だけ従軍した。その後しばらく、鉱山を求めてさまよう暮らしをした後、新聞記者となる。ここで彼は「航行安全水域」という意味を持つ「マーク・トウェイン」の筆名を使いはじめる。水先案内人にはおなじみの用語である。

アメリカを代表する作家になったものの…

やがて30歳で出した『ジム・スマイリーとその跳ね蛙』が好評を博した後、『金メッキ時代』(共作、1873年)、『トム・ソーヤの冒険』(1876年)、『ハックルベリ・フィンの冒険』(1885年)などで大ヒットを飛ばし、アメリカを代表する作家となっていく。

この時期、アメリカでは大陸横断鉄道が開通(1869年)、ベルが電話機を(1876年)、エディソンが白熱電球を発明(1879年)するなどし、工業化が進展。著しい国力の発展が見られた時期である。マーク・トウェインの作品は、科学や経済の発展を謳歌していた時代のアメリカで広まっていったのだ。

福田智弘『人間愚痴大全』(小学館集英社プロダクション)
福田智弘『人間愚痴大全』(小学館集英社プロダクション)

しかし、50代になると、裕福だったはずの彼は、印刷機への投資の失敗などで多額の負債を抱えてしまう。順調だった人生が一気に暗転してしまった。

「また働かなくてはならない」

そう彼は、愚痴をいったという。そして、若くはない体に鞭を打って、講演や執筆などに再び精を出すことになる。

しかし、60代から70代にかけて、彼のまわりでは不幸が続いた。長女、妻、次女、三女を亡くし、彼の作品も徐々に厭世的なものが多くなる。

三女を亡くした翌年の1910年、トウェインは亡くなった。この年、さらなる発展を続けるアメリカの空には、75年ぶりにハレー彗星が輝いていた。

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