中国発経済危機は来るのか、過去のバブル崩壊を振り返る

(1)1990年代の日本でのバブル崩壊とその影響

まず、日本で起こった金融危機を振り返ってみましょう。

1980年代後半に日本では不動産バブルが起こりました。85年のプラザ合意で円高誘導がなされ、円高不況への対策で日銀が市中にジャブジャブに資金をつけたのですが、それが不動産市場に流れ込んだのです。

バブルの過程で株価も上昇し、89年末には、日経平均株価が3万8915円をつけました。最近日経平均が3万円を超えたと話題になっていますが、30年以上前にそれよりも高かった頃があるのです。ゴルフ会員権も高騰し、小金井カントリー倶楽部の会員権が4億円したのもこの頃です。まさしくバブルです。

しかし、バブルはしょせんバブルですからあえなく崩壊。90年には日経平均は2万円台に下落。不動産バブルも崩壊し、銀行は不良債権の山を抱えました。東京では、短期間に4倍に上がった地価が、ジェットコースターのように瞬く間に4分の1に下落し、元の地価に戻ったということもありました。

私はその頃、銀行員をしていましたが、バブルが崩壊し始めたころには、不良債権は日本全体で20兆円くらいと言われていました。一方、海外では当時、日本はバブル崩壊で100兆円程度、当時の名目GDPの20%に及ぶ額の損害を受けるだろうと予想していたものもありました。結局のところ、海外の指摘が正しく、日本の金融機関は、100兆円ほどの不良債権の処理に追い込まれました。

97年11月の最初の金融危機では、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券などが破綻、98年には日本長期信用銀行、日本債券信用銀行や中小銀行も相次いで破綻、その後、2003年5月にりそな銀行に2兆円の公的資金が注入され何とか金融システムの安定を保つまで、金融界や日本経済は大揺れとなりました。

大手行も次々と倒産回避のための合併を繰り返したのもこの頃です。「失われた30年」の入り口がバブル崩壊だったのですが、日経平均も一時7000円台まで下落しました。そして、その後も長い間バブル後遺症に悩まされました。

中国発経済危機は来るのか、過去のバブル崩壊を振り返る

(2)2008年のリーマンショック

世界レベルでもバブルの崩壊があったのは、覚えている方も多いでしょう。米国で低所得層向けの不動産ローンである「サブプライムローン」の破綻が続き、サブプライムローンを束ねて証券化した商品を多く買っていたフランス最大手の銀行BNPパリバ傘下の投資会社が破綻したのが2007年8月でした。いわゆる「パリバショック」です。

それが引き金で債券市場が機能不全に陥り、日米欧の中央銀行が連日大量の資金を市場に供給することでなんとか市場を維持しようとしました。しかし、金融は安定せず、金融機関の不安説が流れる中、米国の名門投資銀行ベア・スターンズが破綻、2008年9月にはリーマンブラザーズが破綻しました。いわゆる「リーマンショック」です。

リーマン破綻の翌日、米大手の生命保険会社の株価が1ドルまで下落したときに、米政府はそれまでの放任主義の姿勢を180度転換し、7兆円もの公的資金を注入することで金融危機を食い止めましたが、米国のみならず、日欧はじめ世界の実態経済に大きな打撃を与えたことは記憶に新しいでしょう。

このパリバショック、リーマンショック前にも、バブルの崩壊への警告は出されていました。とくに米国以外のところでは、その声は大きかったと記憶しています。返済能力の低い人たちに、住宅価格が上がることを前提に、低金利で融資するわけですから、どこかで破綻することは明らかだったからです。

写真=iStock.com/LewisTsePuiLung
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