義両親の認知症進行と衰えていく母

2017年に入ると、義両親の様子がみるみるおかしくなってきていた。義父の物忘れについてはある程度把握していたが、義母まで東京旅行の記憶がなくなっていることがわかったとき、花田さん夫婦は愕然。かかりつけ医に相談し、簡易的な認知機能テストを受けると、30点満点中20点。義母はやたらと人に物をプレゼントしたがるようになっており、これも認知症の症状だと知った。

ペースメーカーが入っている義父は、MRIが撮れないため、CTのみの診断によると、前頭側頭型認知症とうつ病の疑いがあることがわかり、両方で経過観察することに。

写真=iStock.com/magicmine
※写真はイメージです

やがて、うつ病の薬の効果が見られないため、前頭側頭型認知症であろうと判断される。介護認定を受けると、義父は要介護2、義母は要支援2。2人ともデイサービスに通い始めるが、義母が「お父さんの身支度や、持ち物などの用意が大変だし、あんなところは行きたくない! バカにされてる!」と言い出し、自分だけでなく義父の通所にも激しく拒否反応を示し、数回で通わなくなってしまう。

すでに義父は、自分で入浴できないまでに症状が進んでおり、義母も入れようとしないため、花田さん夫婦は訪問看護師に入浴介助を依頼。

ところがある日、義父の入浴後、訪問看護師がつけた浴室乾燥機を切らずに義母が入浴し、湿度が高かった影響で、浴室内で倒れてしまう。それ以降、義母も入浴介助をお願いすることにした。

2018年2月、83歳になった義母が腹壁ヘルニアを発症。手術を受ける前後に不在にするため、義父を初めてショートステイに預ける。すると義父は、「何も悪いことしていないのに、なんでこんな所におらなアカンねん」と悲しそうにつぶやいた。

一方、2005年に父親が亡くなって以降、1人暮らしをしていた75歳の母親は、「歩くと息苦しくなる」と訴えるようになり、2010年に病院を受診。すると、心臓の左心室から全身に送り出されるはずの血液の一部が、左心房に逆流してしまう「僧帽弁閉鎖不全症」を発症していることがわかる。母親は僧帽弁再形成手術を受けた。

これ以降、母親のことがますます心配になった花田さんは、病院の送迎だけでなく、診察にも付き添うことにした。

一方、母親は2015年の夏には「具合が悪い」と言って寝ている日が続き、花田さんは夏バテかと思い、かかりつけ病院に連れていき、点滴をしてもらっていた。だが、一向に良くならず、血圧の上が200を超える値にまで上がったため、救急で診てもらい、「おそらく熱中症でしょう」とのことで、そのまま入院することに。

翌年の夏も同様な症状が見られたため、すぐにかかりつけ医に相談し、点滴や入院で対処した。

2016年冬、突然母親から電話がかかってきた。花田さんが出ると、母親は「実家の前の坂道で転倒し、近くで工事をしていた職人さんに助け起こしてもらった」と言う。慌てて花田さんが駆けつけると、母親は額と、口元と鼻の部分にけがをしており、顔面血だらけになっていた。すぐに花田さんは、かかりつけ医に相談。総合病院に予約を入れてもらい、検査の結果、頭には異常がなかったが、上唇の裏側を数針縫い、額にばんそうこうを貼って帰宅した。

2017年2月、花田さんが夫と出かけていたところ、また母親からの電話が入る。「バスで買物に行った帰り、バス停に向かう途中で転んで、バスを待っていた人に起こしてもらってバスに乗り、自宅近くで降りたはいいが、痛くて動けない」と言う。

びっくりした花田さんは、「救急車を呼ぶから、私が行くまで待ってて!」と伝え、夫と共に母親の元へ急ぐ。実家の最寄りのバス停に到着したときには、すでに救急車が到着し、中に母親がいたため、一緒に受け入れ先の病院へ向かった。

母親は脱臼していた。外れた骨を入れてもらう際、母親はものすごい悲鳴を上げて痛がり、そばにいた花田さんは胸が傷んだ。

「私は母の姿を見るなり、『一人で出歩かないでっていったのに!』と叱ってしまったのですが、まずは、『大丈夫?』だったんだろうなぁ……と反省しました。母が言うには、私が出かけてばかりで、買物に行きたくなっても私がいないので、一人で出かけたんだそうです」

このことがきっかけで花田さんは、昼間に母親を一人にしておくことに不安を覚え、「母親を家に連れてきてもいい?」と夫に相談。夫は「ずっといてもらってもいいよ」と言ってくれたが、母親は花田さんの夫に遠慮し、朝晩は実家で寝起きし、昼間は花田さんの家で過ごすことに。義両親も何も言わず母親を迎え入れてくれた。

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