佐藤内閣以後、「悪夢の自民党」に成り下がるまで

そういえば、佐藤内閣の頃から「新憲法」が死語になりました。

敗戦、日本国憲法制定から20年、もはやこの敗戦憲法を押し戴いて未来永劫、敗戦国として生きていくことを日本人は決断したことになります。

日本国憲法とともに、自民党の存在も万年与党として定着しました。そこに業界団体がぶら下がり、実際の政治は官僚が行う。いわゆる政官業の「鉄のトライアングル」の完成です。

自民党は「資本主義と日米安保条約にさえ賛成すれば、その他の思想信条は問わない」とするいい加減な政党でしたが、佐藤後継の田中角栄が台湾を切り捨てて北京政府と組んだので、その二つすらいい加減になりました。

角栄はなぜか高度経済成長の申し子とされ、何がどう間違ったのか「戦後最高の総理大臣」とされています。しかし、首相の時の角栄は、日本列島改造論による狂乱物価で高度経済成長を終わらせました。しょせんトップの器ではなかった人間を持ち上げた、日本人へのしっぺ返しでした。

悪いことに、石油ショックが直撃します。それでも石油ショックを乗り越えた日本はバブル景気に沸きます。昭和の自民党政治は「国民に飯を食わすこと」だけは実行しました。

時は平成に代わりバブルは崩壊、日本は長いデフレ不況に突入します。その中で例外は、小泉内閣の5年間はゆるやかな景気回復を達成し、第2次安倍政権の8年間がさらにゆるやかな(たいしたことはない)景気回復を実現しました。

自民党以外の政権では、村山富市社会党内閣の時に阪神大震災、菅直人民主党政権で東日本大震災。第2次安倍政権末期にはたいしたことがない景気回復すら消費増税であやしくなっていましたが、それでも災害対策だけはマトモにやっていました。

ところがコロナ禍です。安倍晋三前首相は「悪夢の民主党政権に戻してよいのか」と有権者を脅して佐藤栄作を超える長期政権を実現しましたが、コロナ禍の自民党の無能は軽く「悪夢の民主党」を凌駕しています。