戦前の日本には、大麻の栽培、所持、使用を禁止する法律はなく、農家は自由に大麻を栽培していた。ところが終戦後の1948年にGHQによって突然禁止された。国際ジャーナリストの矢部武さんは「日本の文化や日本人のアイデンティティとも深く結びついていた大麻をGHQはいきなり禁止した。そこには3つの理由がある」という――。(第1回)
※本稿は、矢部武『世界大麻経済戦争』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
伝統だった日本の大麻栽培をいきなり禁止したGHQ
厳罰主義の大麻取締法は、終戦後の1948年に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指示によって制定された。つまり、科学的根拠に基づき、日本政府が独自に判断して大麻を禁止したのではないということだ。
実は戦前の日本では、「カンナビス・サティバ・エル」と呼ばれる大麻の栽培、所持、使用を禁止する法律は存在しなかったので、農家は自由に大麻を栽培していた。大麻は産業用として使い道が広く、葉や茎の部分からは麻繊維が、実の部分からは油がそれぞれ取れ、芯の部分は建築材料に使える。
また、大麻草は成長が早くて害虫にも強く、栽培の手間がかからないこともあり、重宝されていた。さらに大麻は胃腸や喘息の薬としても効果があることがわかり、医療用にも使われていたという。
加えて重要な点は、大麻は日本の文化・伝統と深く結びついていたことだ。昔は天皇が行う毎年の新年行事に麻の衣装が使われ、伊勢神宮で使われたお札は麻紙で作られていたと言われている。
『広辞苑』(第七版)によると、伊勢神宮には「大麻および暦の作製・配布など神官の付属事務所をつかさどった役所(神宮神部署)」が存在したが、1946年に廃止されたという。
このように重宝され、日本の文化や日本人のアイデンティティとも深く結びついていた大麻をGHQはいきなり禁止したのである。当時の日本政府の担当者も、GHQから大麻取締法を作るように指令がきた時は、「驚いた」と正直に述べている。