瀬戸内海の交易権をめぐる経済戦争

むしろ、重大な意味をもったのは、細川と山名による幕府内の勢力争いです。その頃、両家の火種になっていたのは、瀬戸内海の交易権ではないかと僕は思っています。瀬戸内海の交易は当時非常に盛んでしたので、これを押さえれば、豊かな富が手に入ります。瀬戸内海交易の延長線上には、日明にちみん貿易の利権もあります。日明貿易はもうかるので、誰もがやりたいと考えるのですが、明との交易は将軍の名がないとできません。自分が幕府の実権を握って将軍を自在に操れれば、日明貿易も手中に収めることができます。

本郷和人『日本史の論点』(扶桑社新書)

そこで、細川と山名は、瀬戸内海沿岸にどれだけ自分の拠点が築けるかを争います。

細川は四国を拠点としており、堺の商人と連携していました。

対する山名は、備後びんご安芸あき、現在の広島県あたりに拠点を構え、航行する船に対して税金を取っていました。さらに、山名の盟友には、山口に拠点を持つ大内氏がいます。大内は「自分は朝鮮の王朝の子孫だ」と名乗っていたほどなので、朝鮮との交易も行っています。また、彼は博多の商人ともしっかりとつながりを結んでいたので、明との交易にも強かった。

つまり、室町時代には、「どちらが瀬戸内海の交易権を押さえるか」を争う「経済戦争」が行われていた。それが、応仁の乱が十一年も続いた要因のひとつではないかと僕は思います。

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