高級娼婦から「あなたの子よ」と言われたものの…
足利将軍家で問題が起こっていた頃、畠山家も同様の問題で揉めていました。ここで簡単に、室町幕府の政治事情について補足させてください。当時の室町幕府は、斯波家、畠山家、細川家の三つの家が代わる代わる「管領」になることで、運営されていました。管領とは、幕府の実質的な政治責任者のこと。つまり、畠山家は、幕府政治に非常に強い発言力を持っている家柄だったのです。
くじ引き将軍・義教の八百長の実行者としての疑いがある畠山満家も、畠山本家の当主です。また、満家の息子の畠山持国(一三九八~一四五五年)は、畠山家の全盛時代を築いたと言われるほどに優秀な人物でした。
ところが、彼の次を決める際に、息子である畠山義就(一四三七?~一四九一年)と、甥にあたる畠山政長(一四四二~一四九三年)の間で非常に面倒な跡継ぎ問題が起きてしまったのです。
どうして息子がいるのに、甥が後継者候補に挙がり、さらに二人の間でバトルが起こったのか。かつて、畠山持国はオペラの“椿姫”のような高級娼婦と深い仲になり、相手の女性が妊娠して、男の子を生みました。女性からは「あなたの子よ」と言われたものの、なにせ相手は高級娼婦。数多くの恋人がいるはずです。そこで、持国は、「え、本当に自分の子なの?」という疑いを抱きました。誰の子だかわからない男の子を、自分の家に迎え入れたくはない。そこで、持国は、息子が生まれたらすぐに寺に送り、僧侶にしてしまいました。
いきなり息子が登場して後継者争いが勃発
月日が経ち、持国は跡目について考えるようになりました。「私には息子ができなかったな。仕方ない。甥の政長を後継者にしよう」と決めました。しかし、あるとき京都にある相国寺へ行くと、「あれ? もしかして、お父さんじゃないですか?」と一人の少年に話しかけられます。それは、かつて“椿姫”から生まれ落ち、自分が寺へ送った息子でした。赤ん坊の頃にはわかりませんでしたが、いざ成長した息子を見てみると、その顔は自分に瓜二つです。「これは、自分の子に違いない」と持国は、確信します。
せっかく息子がいるのならば、甥ではなくて、息子に跡を継がせたい。そう思った持国は、その僧侶を還俗させ、義就と名乗らせ、家へ連れて帰るのです。
さて、ここで困ったのは、政長とその家来たちです。政長にしてみれば、「自分が後継者になると思っていたのに、いきなり出てきた息子にその地位をかっさらわれてしまうのか」と愕然としたでしょう。政長の家来たちにしても、将来的には政長が家督を継ぐと思っていたからこそ、一生懸命彼に取り入る努力をしていたわけで、「だったら、これまでの自分の努力はなんだったのだ……」とがっかりしてしまったでしょう。
逆に、政長に取り入るのに失敗していた家来たちは、「新しい跡取りとなる義就さんに取り入ろう」と考えて、義就を持ちあげます。この跡目争いによって、畠山家は真っ二つに割れてしまいました。しかも、騒動の最中に、問題の原因を作った持国は死んでしまい、争いは苛烈を極めました。