自堕落な人は欲望を追求することによって、自らの心身の健康を害したり、あるいは他人を傷つけたりしようとも、後悔することがありません。そもそも「理性」と「欲望」の葛藤もないのです。「理性」が「欲望」の奴隷になり、欲望を満たすための道具のようになってしまっているのです。
「節制」が欲望を整え、喜びを生み出す
——「分かっちゃいるけどやめられない」という葛藤があるうちは、まだ理性の健全さが保たれているけれども、「アコラシア」の場合は、そもそも理性の健全性が損なわれてしまっているわけですね。
そうです。そして、「節制ある人」の場合には、「理性」が健全な在り方をしているだけではなく、「欲望」もまた徳によって整えられているので、葛藤がないのです。
しかも、この徳を身につけることによって、「喜び」が感じられるようになるわけですから、「節制」は「喜び」を抱いて真に幸福な人生を安定的・持続的に送っていくために不可欠な要素だということになります。
——たしかにエリートと言われる人は、節制を楽しんで生きている人が多いように見えますね。『神学大全』にそんな身近なことが書いてあるとは意外でした。
トマスの哲学は、キリスト教信仰の有無とはかかわりなく、人生を肯定的に生きていくうえの智慧がいっぱい詰まっています。ぜひ日本の読者の方々にも、トマスの哲学に触れてほしいと思っています。