——いくらなんでも、人生全体のなかでみれば、些細なことでしょう。

人間がそうした分かれ道に直面して、どちらかの選択肢を選ぶかということは、そのときにたまたまどちらかの選択肢を選んだということで終わるものではありません。選んだ方の選択肢を選びやすくなるような「習慣」が形成されてくるのです。

そうすると、次に似たような状況に直面したさいにも、そちらの選択肢を選びやすくなってくる。そうした仕方で、どんどんある選択肢を選びやすくなるような性格や人柄が形成されてくることになるわけです。私たちが毎日行っている一見些細な選択が、実は人生全体の在り方へと直結しているのです。

——うーん、厳しいですね。

「習慣」は、単なる惰性ではなく、もっと積極的な意味を持っています。アリストテレスは言葉遊びを兼ねて、「エートス(人柄・性格)」は「エトス(習慣)」を少し語形変化させることによって得られると述べています。

いわば人間とは「習慣のかたまり」であって、その人が積み重ねてきた習慣がその人らしさを形成している。ですから善い習慣を身につけることは、善く生きるうえで決定的に重要なのです。

「アクラシア」と「アコラシア」

——自分が「節制」を身につけられるかどうかは別にして、お話はだいたい理解できました。ところで、さきほど見せていただいた図表で、カタカナで書かれている「アクラシア」「アコラシア」というのは何ですか?

「アクラシア」というギリシア語は、「無抑制」とか「抑制のなさ」などと訳されます。俗な言い方をすれば、「分かっちゃいるけどやめられない」という状態のことです。つまり、何かが善くないということが頭では分かっているのにそれをしてしまうという在り方のことです。

——「分かっちゃいるけどやめられない」とは、まさに私のことです。

「抑制ある人」と「抑制のない人」には共通点があります。どちらも、「理性」と「欲望」との葛藤があるという点です。そのうえで、「理性」が「欲望」に打ち勝つのが「抑制ある人」で、「理性」が「欲望」に負けてしまうのが「抑制のない人」ということになります。

他方、「アコラシア」というギリシア語は、「放埒ほうらつ」「自堕落」を意味します。喜ぶべきではないものに喜びを感じたり、度を越して快楽を追求したりすることが、生きていくうえでの基本原理になっているような在り方のことです。