「ああ、よかった」と思える時間をつくりたい

「ほぼ日の學校」の「學」の字は、本字です。もともと「学芸」の「芸」の本字「藝」がとてもいい意味をもっていたのに、それが「教育」になって鞭打つみたいな意味に変わってしまった。「学」も本字の「學」の方が本来の「まなぶ」の意味に近いので、本字の「學」にしたんです。しかも、ロゴでは、「學」の真ん中の×を1個減らしています。本字(本来の字)なのに間違っているんです。そこに僕らのやりたいことが込められています。

——「お金を稼ぎたい」は行き過ぎかもしれませんが、「いい人生を送りたい」「人として成長したい」と考える人は多いのではないかと思います。

【糸井】そのへんの言い方は難しくて。まずは損得勘定抜きで、「ああ、よかった」と思える時間をつくりたいんです。人の話を聞いて、ドスンと心に来たり、大笑いしたり、すごくいい時間だった、と思えることがありますよね。そういう時間は、僕をちょっと育ててくれたんだと思います。でも、育ちたかったわけではない。目的と結果にとらわれないで、一緒にすてきな時間に飛び込んでいくみたいなことが「まなぶ」の中には入っていると思っています。

撮影=西田香織

「魂」という言葉をちょっと信じたくなる人たち

——プロモーション動画で一番上にあった講師は、スーパーボランティアの尾畠春夫さんでした。どういう狙いで講師を選んでいるのですか。

【糸井】尾畠さんは、「ほぼ日の學校」のシンボルだと思ったんです。だって学校に行ってない人ですからね。でも、生きながら自分で考えて学んでこられた。小学校も通えなかった人が学ぶについて教えるんだから、もう最高ですよ。あと尾畠さんと対極に見えるかもしれませんが、(経営学者の)野中郁次郎先生は、会えばすごくいいおじいさんで、あの年齢になってもすごい真剣に何かを語りたいと思っていらっしゃる。尾畠さんや野中先生の話を聞いていると、「魂」という言葉をちょっと信じたくなるんですよね。

——魂があるかどうかは、どうやって見抜くのですか。

【糸井】文章に表れてしまいますよね。たとえば誰かを「ウジ虫野郎」とくさす文章を書く人は、「ウジ虫野郎」という言葉が相手を傷つけることを知っていて、自分が言われたら嫌だと思っているだろうことが想像できる。世の中で論争が起こっているとき、文体の中に選ぶ基準はもう入っている。