自分の渦から外に出してしまう場合もある

【角田】杜仲茶の例で言えば、向こうからドンブラコと杜仲茶がやってきて、僕の渦に入ってきたわけ。そうこうするうちに杜仲茶の関係者の人と「こういう感じで企画をやりましょう」みたいな話になるよね。

そうなった時に、さらに僕はこの杜仲茶を、今度は「渦の外」に出しちゃうんだ。外に出たところに佐渡島庸平さんがいたら、「佐渡島さん、この杜仲茶の企画があるから、何かやらない?」って、むしろ相手に渡しちゃう。

ドンブラコと流れてきた杜仲茶を、自分とこでぐるぐる回してるうちに、「杜仲茶でこういう動画をやりましょう」という企画にして、それをさらにもう一回外に出して、違う人の渦にも入れてしまう。佐渡島さんのところに「杜仲茶」というお金がついて行ったら「動画をやるんだから、今度それの漫画版をやるわ」みたいに作っている。

つまり、僕の周りの至るところに「関係者の渦」があるイメージなんだ、「角田」という渦があり、「加藤」という渦があり、「鈴木」という渦があり、みたいな。で、この「杜仲茶」が来たところで、「今回は角田・鈴木でやってます」とか、「角田・甲斐荘(註:構成ライター)でやってます」みたいな感じ。

自分の仕事がなくなっても「それでいいや」と思う

極論を言うと、自分のやりたくないことは「甲斐さん(註:構成ライター)、パース」みたいなノリ。甲斐さんがそれをどうやるかは甲斐さん次第だし、やるならやってもいいし、バラしてもいいくらいの感覚だな。

つまり、僕は「自分に来たものを自分だけで受けとめよう」とそんなにしていないのかな。今の世の中では「A・B・C・D・E」ってあったら、Aだけでできることってなくって、やっぱりB・C・D・Eのスキルを持ってる人と組んだほうがいいわけだからさ。

【加藤】自分よりもっとベターにできる人がいるんだったら、躊躇なくその人に渡すと。

【角田】渡す。佐渡島さんと僕だと「出版」と「動画」で分野が違うけど、分野が同じ動画の人にも渡す。結果、僕の仕事がなくなっても「それでいいや」って思ってる。

なぜかと言うと、その人に渡しただけでその人に「貸しイチ」を与えていて、今度その人から何かやって来るから。これはもう普通に信じてるし、信じてると意外と本当に来るんだよ。

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