※本稿は、正高信男『自粛するサル、しないサル』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
危険な体験はたった一度で長く記憶される
もう40年も前のことになりますが、長野県に生息する野生ニホンザルにアーモンドの実を与える実験を行った研究者がいました。山に暮らすサルで、アーモンドは日本列島には自生しないのですから、彼らがアーモンドの実にそれまで接したことがないのは明白。つまりナイーヴな状態であるといえます。
といってもクリやシイの木の実にはなじみがありますし、好物ですから、見てそれが食べられそうな代物であることぐらいは察しがつくというものです。試しに口に入れてみて、食べられることをすぐに理解したといいます。
サルに理解させたうえで、研究者はアーモンドの実に催吐剤をふりかけ、彼らに与えてみたのでした。催吐剤とは、摂取するとしばらくして嘔吐を引き起こす薬剤のことです。するとサルは口に入れてしばらくすると、やはり嘔吐したということです。もっともこれだけでは、ヒトに有効な催吐剤はサルにも効く、という話でおしまいです。問題は、そこからです。
追跡調査をしてみると、この嘔吐の経験以降、サルはアーモンドを与えても、もう一切口にしないことがわかったのです。ちなみに催吐剤を与えたのは、一度だけです。しかも、この経験から1年が経過しても、サルのアーモンド拒否の反応は、全然変わることはありませんでした。サル学者は、こういう風に自分の身体に有害なことを動物がすみやかに覚える現象を、「嫌悪学習」という特別な名称で呼ぶことにしています。
嫌悪学習が、それまで知られてきた通常の学習と異なる点は、まずたった一度の経験でその学習が成立するということにあります。ふつうは何回も経験して、ようやく学習するわけですが、一度きりでいいのです。
つぎに、一度きりの経験であるにもかかわらず、その効果が尋常でないほどに持続するという点です。長野のサルは一度アーモンドで嘔吐すると、それから1年たって再びアーモンドを見ても、食べようとしませんでした。その間、アーモンドを見る機会がなかったのにもかかわらずです。1年前の嫌悪体験を記憶していたとしか考えられません。サルは身に害のあることについては、ずっと覚えていることができるのです。というか、忘れようとしても忘れられないと書くほうが正確でしょう。