スポンサーから来た仕事を「自分のやりたいこと」に変えている
この間自由大学で講義をやった時、「○○を形にする時に、こういうスポンサーを見つけてきたんですよ」みたいなことを話したら、「じゃあ角田さんは、やりたいことがあるとスポンサーを見つけてくるんですか」って質問されたんだ。
ところが僕は、「やりたいことが先にあってからスポンサーを見つけた」ことってないんだよ。加藤くんもそうなんじゃない?
そうじゃなくて、まず先に「こういうスポンサーがいる」と分かってから、「じゃあ、こういう企画やりませんか?」って言って、そこから企画を作っていく。一生懸命考えてるうちに、その企画が「自分がやりたいこと」にどんどん近づいていくんだよね。
多くの人は、最初に自分の中に「やりたいこと」があって、その「やりたいこと」を実現するためにスポンサーを集めて、人を集めて……みたいにやってるから、僕もそうやってるように見えたんだろうね。だから「どうやってスポンサーからお金を集めればいいんですか?」と聞かれたんだけど、話は逆で、そのスポンサーから来た仕事を「自分のやりたいこと」にどうやって形を変えるか、ってことをやってるんだ。
後付けで「やりたいこと」が増えていく
【加藤】それって、スポンサーが見つかった時点では実は「自分がやりたいこと」はないんだけど、やってるうちに後付けで「やりたいこと」が増えていく感じなのかな。
【角田】たとえば「杜仲茶の宣伝をやってくれ」って話があった時に、「なんでこんなお茶の宣伝をやんなきゃいけないんだ」って思ったら、そのこと自体は自分が今やりたいことではないんだけど、「この杜仲茶なるものが好きなタレントさんを集めて、トーク番組をやった」となったら、それは「トーク番組をやりたい人」にとってはやりたいことでしょう。そうやって「やりたいこと」を実現させてる。
もうひとつは、たとえば漫画家になりたい人が、「自分は漫画家になれなかったから、夢は叶ってない」と言うとするでしょ。でも、『「好きなことだけやって生きていく」という提案』にも書いたことなんだけど、「あなたが今いる会社で「漫画家的な仕事」をやっていれば、それは漫画家じゃん」って話なんだよ。
今いる職場にも「社内広報誌にちょっとした漫画を描く」って仕事があって、月一で締め切りがあるとすれば、それってもう漫画家じゃん。しかも、以前だったら社内広報誌はクローズドな媒体だったわけだけど、今だったらそれをウェブに載っけたりするわけでしょ。それはもう『ジャンプ』で描いてることと、本質的には変わらないんだと思う。「それを漫画家だと思うか、思わないか」っていうことが、「好きなことだけやって生きていく」ことの意義だって話なんだよ。
【加藤】云いたいことは分かる。その「渦」について、自分がその渦の中心であり、常に自分が回し続けていく、他の人が周りに寄ってくるイメージで捉える人が多いと思うんですけど、渦の起点はたとえばスポンサーであって、自分は「周りでくるくる回ってる人」みたいな解釈もありなの?