「好きな時にそこから出られる」関係がいい

【加藤】そうは云いつつ世の中的に、もしくは今の時代的に、サロンみたいに「つるみたがってる人」は多いような肌感があるんですけど。

【角田】そう、ある。そこがね、予定調和のように言っちゃうと、僕は「渦のように生きたい」と思ってる。つまり「自分が渦」なわけですよ。

僕自身が、渦でぐるぐる回ってる。加藤くんとつるみたいなら、加藤くんが僕の渦の中に入ってくれば、多分一緒に回る。でも「もういいかな」と思ったらもうヒューって出ていけるじゃん。その「勝手に入ってきて、勝手に出ていける感覚」ってのがいいんじゃないかと思ってるんだよね。

「つるむ」って、なんか「ずっと繋がってる」感じじゃん。僕は流体のように、川のように生きたい。固体じゃなくて、流体でありたいんだよ。ホリエモンと何かやるなら、ホリエモンの渦のほうに巻き込まれて行ってもいい。でも巻き込まれてるからってそのまま消えていくんじゃなくて、好きな時にそこから出られる。

「つるむこと」と「渦」の違い

【加藤】「つるむこと」と「渦」を分けるってことは、つるみたい人と「渦」とは相性悪いのかしら。

【角田】「つるむこと」と「渦として巻き込む、巻き込まれる」がちょっと違うのは、やっぱり着脱の自由があるかどうかかな。「つるむ」っていうのは「同胞」みたいな感じがあるから、「ヤクザから縁を切る」みたいなことをやらないと集団から出られない。だから「集団」ってものも嫌なんだよ。固形のものが一箇所に集まるんじゃなくて、出入り自由な感じが僕はいい。

【加藤】もうひとつ、一人の人間が一つの共同体にべったりつるむ、というつるみ方もあるし、もっと気楽なつるみ方もある。つるむ時に自分の全人格・全存在を投げる、あるいは預ける感じってどう思う?

【角田】それって化学で習った結合の種類の違いみたいなものだよ。イオン結合とか共有結合みたいな。例えば金属結合って、一度結合したら外れないんだ。ところが液体はいつも外れたりくっついたりしてるわけだよね。

「つるむ」って言葉を固形物同士が結合しているみたいなものだとすると、「この集団とくっついてるけど、あの集団ともくっついてる」みたいにやってると、集団同士の仲が悪くなった時に、むしろ分人が分裂しちゃう感じがするんだ。一人の人があらゆるレイヤーのあらゆる集団にいられるほど、人間って器用じゃないよ。