環境がずっと同じなら、仲良くするよう頑張るべき
【角田】平野レミさんや黒柳徹子さんは「嫌いな人とは仕事しない」って公言してる。それでもあの地位までいっているから、本当にそれでいいんだなって思える。だからその言葉は好きなのね。
その一方で、人間の場合は「嫌いな人と付き合わなくていい」と思っているのに、国の場合で考えたら世界の二〇〇近い国全部と仲良くしなきゃいけないのかなって、ちょっと思ったことがあるの。利害関係で付き合う相手を決めるんだから、国だって利害で仲良くするかどうか決めたっていいんじゃないかって。そこで、僕のヒューマニズムは相反するわけよ。
でもある人から「隣同士の国は永遠に隣じゃん」って言われてね。つまり人間同士だと物理的に離れられるんだけど、国同士は離れられないじゃない。ずっと隣同士にいるのは間違いないわけだから、「だったら、仲良くなれるように頑張るのもひとつのやり方なんじゃないの?」って言われた時に、ストンと腑に落ちたのね。
要するに、環境が変わるんだったら「好きなものは好き、嫌いなものは嫌い」でいいんだけど、あなたがその会社に骨を埋めると決めたなら、その相手とも隣同士の国みたいなものになるんだよ、と。あなたが仲良くするように頑張ると、相手も意外と仲良くしようと努めるようになるんじゃないの? と思う。だから判断のポイントとして、その環境が変えられるものかどうかというのはあるよね。
利害関係のみの付き合いだっていい
【加藤】「全人格的に仲良くなる必要もない」という考え方はありますよね。サードネームじゃないけどさ。
【角田】そうそう。だから「貿易だけやってりゃいいや」とかさ。
【加藤】利害関係のみの付き合いだってあるだろうしね。いい意味での社交っていうものはあるよね。これについては、山崎正和先生の『社交する人間』という名著がありまして。日本の組織が家庭的な性格を残してきたからかもしれないけど、妙に全人格的な付き合い方をしようとする時があるよね。
【角田】僕が教育に不満なのはおそらくそのあたりで、「個性、個性」って言うわりには全部を要求するじゃん。それ無理だとか、「嫌なやつとどうしたら揉めないか」とかを教えてあげたほうがいいんじゃないかな。
【加藤】わざと仲悪くなる必要もないけど、全員とべたべたに仲良くする必要もない説です。
【角田】「サンパウロは治安悪いから行かない」じゃなくて「サンパウロに行っても、治安の悪いところには行かなきゃいい」みたいな感じでさ。初めから「サンパウロには行かないか、行って骨を埋めるか」なんて選択肢だけで考えていたら、そもそも行けないでしょ。