祖母が亡くなると虚脱状態になった
祖母は、Bさんの受験の冬に亡くなった。Bさんも試験前で、亡くなる2週間前は、ごはんも出来合いのものを買ってくるという感じだった。最後の2年間ぐらいは、自分が祖母の首を絞める夢で目が覚めることが何度もあった。母もギリギリで、いつ手をあげるか、という感じだった。いつか母か自分が手を出すんじゃないかと思って怖かった。介護殺人という話を聞くと、他人事ではないと思う。学校の先生や友達には言えない。
第一志望の大学には入れなかった。「あぁ、ちゃんと時間があったら」と思った。塾には行けなかった。勉強時間があって、息抜きの時間もあって、学校の他に塾まで行っていたまわりの子たちが羨ましかった。受験と祖母のケアが一気になくなって、1年は虚脱状態だった。解放感がなかったわけではない。月経痛も祖母が亡くなってからはなくなった。でも、ずっと介護があって、頼られて必要とされて、それが生きがいにもなっていた。つらい、面倒くさいという思いと、その一方で、生活のメインがそれだから、いざ亡くなってみると、「何しよう?」という状況になってしまった。
自己紹介で年齢を言うと、「何してたの?」と聞かれるが…
「ヤングケアラー」という言葉を知ったのはその頃だった。実際に自分みたいな境遇の人もいるんだなと思った。「わかる人、いないかな」とは思っていた。でも、いなくて、相談しようとも思わなかった。どう言っていいかわからない。おばあちゃんの着替えとか排泄とか、恥ずかしくて言えなかった。若い人で介護している方がいたら、話したかった。
Bさんはその後再受験して、今は、大学での生活を楽しんでいる。「今の大学では、まわりが先生の卵。一般教養の授業のなかで、介護や障がい児の映像を見たりするけれど、映像を見るだけ。こういう人たちが先生になるんだな、と思う。だから、『おうちのお手伝い』とか『おばあちゃん思いの孫』という見方しかできないのは仕方がないような気もする」。
大学では、21歳で1年生というと、「何してたの?」と言われる。そういう時は「身体をこわして」と言う。介護のことは言わない。言ってわかってもらえるものでもないし、言いたくないというのもある。言いたくないというのは、言うのが恥ずかしいのと、いちいち説明するのも面倒くさいのと。学校で言うとなると、何十人にも説明しなくてはいけない。自己紹介して年齢を言うと、「何してたの?」って。「身体をこわした」と言えば、深くは突っ込まれない。