※本稿は、村上靖彦『「ヤングケアラー」とは誰か 家族を“気づかう”子どもたちの孤立』(朝日選書)の一部を再編集したものです。
覚せい剤依存の母親を持つAさんの居場所
当時のAさんは2つの居場所を持っていた。
【Aさん】最初は覚醒剤の使用だけやったんですけど、営利目的の人、売人にもなっちゃって、だから結構、〔男の人も〕出入りもしちゃってたし。それを私は学校にも言うつもりもなかったし。おかしい行動とかしてたんですよ。次々替わる彼氏とかも、ガレージの下で注射器持って正座してたりとか、結構やばかったんですよ。あと何やろ。家の前で血まみれになるぐらいのぼこぼこのけんかを、男同士がしてたりとか、そういうのがあって。そのときは、『なんでこんな家に生まれたんやろ』とか、めっちゃ思ってましたね。
でもやっぱり、ずっと里には来てたけど、里より私の場合は中学校に、学校に通ってることが楽しかったんですよね。学校の先生も知ってる(著者注:「知らなかった」の言い間違いか?)わけではないけど、それが結構ありますね、学校のほうが楽しかったっていうのは。
「それなんでか?」って言われたら分かれへんけど。里はちっちゃいときからおったから、自分の泣いてる姿とかを見てる人がいっぱいおるから、それに比べて中学校ではそういうことがないから、逆に過ごしやすかったっていうのが多分あったんやと思うんですけど。
生存不可能になってもSOSを出せないヤングケアラー
異様な状況である。母親が覚醒剤の売人になり、男たちが家に出入りしながら異常な行動をする。
「なんでこんな家に生まれたんやろ」は孤立し絶望した独り言だが、「ママのせいで」と責める言葉ではない。こどもの里と学校で支援者に恵まれていたAさんだが、そのサポートのなかにあって「言えない」「なんでこんな家に」と感じるような孤立を経験している。「学校にも言うつもりもなかった」ことと「なんでこんな家に生まれたんやろ」という思いとはリンクしている。母親の薬物使用という状況にあって、家の外にSOSを出せず、家は生存不可能な状況になるのだ。背景はそのケースによって個別的だろうが、状況からの圧力と言語化の難しさゆえにヤングケアラーがSOSを出せないという事実は、一般化が可能だろう。