母親の問題を知らない場所では明るく居られる

こどもの里が居場所でありシェルターであったAさんだが、不思議なことに「でも」中学のほうが「楽しかった」という。こどもの里は、泣くこともできる安心がある場所であり、それゆえに悲しい場所になるというあいまいさがある。中学校の仲間たちは母親の問題を知らないので楽しく過ごせたのだ。「でも」をはさんだ状況の両義性は、ここでもAさんの語りの大きな特徴となっていく。「でも」はここでも知の両義性に関わる。Aさんが泣いていたこどもの里はAさんの苦境にうすうす気づいている施設である。学校の友人はAさんの苦境に気づいていないがゆえに、明るく振る舞えるのだ。

生徒のいない教室
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「泣く場所」と「楽しめる場所」2つの居場所が支えとなった

こどもの里と中学校という2つの居場所が補い合ってAさんを支えている。親しいスタッフが見守る安全で安心な場所であり、感情を出して泣くこともできる場所としてのこどもの里と、家族のことは知られていないがゆえに、友だちと仲よくコミュニケーションをとることができる場所としての中学校、そのどちらも必要だろう。

居場所にはいくつかの機能がある。そして複数の居場所を持つということが大事である(孤立すると居場所を失っていく。まさにこのような状況のなかで複数の居場所を持てたことが、Aさん自身と地域の力である)。

こどもの里は、母親が不在であることへのケアと、泣いているAさんをかくまう場所という形を取る。Aさんに何も言わないままかくまうことで、Aさんが自立していく準備をしたのがこどもの里だ。ヤングケアラーとしてのAさんは周囲に母親の覚醒剤を告げられないという意味では孤立していたが、しかしAさん自身を支えるコミュニティはつねに背景にあった。これはヤングケアラー支援一般についても居場所が重要であるということを示唆している。