介護をがんばっても虐待だと勘違いされる

夜中に困ったのは、祖母が夜に元気なことだった。祖母はデイサービスに馴染めなかったため、昼間はその施設で寝てしまって、夜中に起きている。手がかかって大変だった。「痛い」とか「ごはんが食べたい」とか、ずっと何か言っている。祖母の部屋はBさんのすぐ向かいの部屋で、しかもドアを開け放していなければならなかった。

祖母が電話で親戚とか地元の友人に家族の悪口を言うのもしばしばだった。「ごはんもろくに食べさせてもらえない」などと言っている。聞いていて、「え?」と思った。祖母は認知症ではなかったけれども、まわりの人は状況がわからない。そのため、祖母がBさんの家族に虐待されているのではないかと思われたりすることもあった。

臭いもきつかった。祖母は自分でオムツをはずしてしまっていたりして、シーツも汚して洗わなくてはいけない時もあった。臭いは向かいのBさんの部屋を直撃した。芳香剤を買ってきて置いたりしたけれど、それでも、ドアを閉めると祖母は騒ぎ出すし、何かあると怖いというのもあって、ドアを閉められなかった。

祖母はデイサービスも嫌がった。もともと隣の県の人なので、Bさんの住んでいる県とは言葉も慣習も違う。そのため、祖母は嫌がって、仮病を使って行かないこともあった。そうすると、祖母を一人で置いておくのが怖くて、Bさんが学校を休んで家で祖母を見た。そのため、Bさんの出席はギリギリだった。

救急車を呼ぶこともあった。Bさんが勉強し終わって「さぁ寝ようか」という深夜、祖母の具合が悪くなり、救急車を呼ぶ。たいてい午前1時か2時ぐらいの時間だった。付き添って、一睡もしないで翌日の模試に行ったこともある。父母は仕事があるため、朝になってから病院に来てもらい、そこから模試に行った。でも、さすがに学校の試験の時には、卒業できなくなるので、親が協力してくれた。

お手伝いというレベルじゃない

Bさんが受験生の頃は、祖母は入退院を頻繁に繰り返していた。入退院の手続きは父母がして、Bさんは、付き添いとか要るものを運んだりした。祖母の病院は高校のすぐ近くだったので、授業中に祖母から電話がかかってくることもあった。死にそうな声で何かがほしいと頼まれると、昼休みにそれを買って届けたりもした。

学校の先生は、相談してもわかってくれなかった。先生に、おばあちゃんがいて、こういう感じで、と言うと、「おうちのお手伝いしてるのね」と言われてしまった。最初は、自分でも介護という意識はなかった。父親に「つらいんだけど」と言った時に「でも家族だから」と言われたりしたことから、自分でもそう思っていた。

でも、3~4年経って、ようやく介護をしているという意識を持つようになった。お手伝いという範囲じゃない。学校の先生は、おばあちゃんの部屋にただごはんを持っていくだけととらえていたと思う。お手伝いというのはしなくてもいいことという印象。でも、自分のしていたことは、しないと命にかかわることだった。薬も通院も救急車も排泄も食事も。しなくてもいいことではない。自分が起きていてそばに祖母がいる時は、常にそういう感じだった。

自宅で座っている高齢女性
写真=iStock.com/Kayoko Hayashi
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