警察庁時代に遭遇した「オウム真理教事件」
——警察官僚から内閣情報官、国家安全保障局長という41年以上に及ぶキャリアパスの中で、入庁16年目の1995年、一連のオウム真理教事件という国家の安全保障を揺るがす事件に遭遇しましたね。
在フランス日本大使館に一等書記官として勤務していましたが、その年に発生した阪神淡路大震災等の件もあり、当時の警察庁警備局は猫の手も借りたい状況で、早めの帰朝命令を受け、3月初旬には霞が関の警察庁にいました。警備局長は現在の杉田和博官房副長官。ロシアや中国、北朝鮮等による我が国に対する有害な活動を監視し、取り締まる外事課の長が小林武仁さんでした。そのころ日本警察が直面していた最大の課題はオウム真理教です。地下鉄サリン事件は未だ発生していませんでしたが、既に、教団はその後の捜査によって明らかにされる数々の凶悪事件への関与の疑いが濃厚で、しかも、ロシアに勢力を伸張していました。外事課では、教団のロシア支部と本部との関係を解明する一方、教祖の麻原彰晃を始め教団幹部を水際で発見・検挙することを目指して全国の外事警察に情報収集と捜査を指示していました。
諸外国は地下鉄サリン事件を「国家安全保障の問題」と捉えた
——地下鉄サリン事件発生で、取組は変わりましたか。
外事課には、地下鉄サリン事件に関する欧米の捜査・情報機関との連携という特命が加わりました。ポスト冷戦の大型事件として、欧州や同盟国は、我が国以上の危機感を持っていました。
——欧米諸機関がそこまで高い関心をもったのはなぜですか。
①共産主義陣営と自由主義陣営とによるイデオロギー対立の終焉を強く印象付けた事件であったこと、②軍以外で製造された化学兵器が犯行に使用されたこと、そして③テロ組織化したカルト教団が起こしたこと、さらに、④生活インフラである地下鉄を舞台に、都市型の大量殺傷テロが起こされたことです。国家安全保障に深く関わる事件であり、どの国でも起き得ることだと考えたからでしょう。
——連携はスムーズにいきましたか。
当時、オウム真理教に係る主たる事件の捜査は刑事部門が遂行していました。刑事部門から情報部門に思うように情報が提供されないことから、小林外事課長は非常に苦労されていました。同盟国や同志国から「どのような事件なのか」と尋ねられても説明ができないわけです。
諸外国は国家安全保障に関わる事態と捉えているが、我が国では刑事事件としての捜査が優先です。刑事訴訟法に基づいて「捜査密行の原則」で捜査が進む。一方で、捜査で得られた膨大な情報へのアクセスは制限されています。国内捜査とテロ対策としての国際協調。どちらが上ということでなく、秘密情報の管理の仕組みを作った上で、説明を含め、情報を目的に応じて活用できる体制作りの必要性を痛感しました。