2011年12月、北朝鮮の金正日前総書記が死去した、という情報が流れた。だが、当時の民主党政権は公式の死亡発表がされるまで、政府として動くことができなかった。元国家安全保障局長の北村滋さんは「政策決定者に対する情報伝達の在り方に問題があった」という――。

※本稿は、北村滋『情報と国家 憲政史上最長の政権を支えたインテリジェンスの原点』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

2011年12月29日正午、平壌の金日成広場で行われた金正日総書記を追慕する中央追悼大会で3分間の黙とうする軍の幹部ら(北朝鮮・平壌)
写真=朝鮮通信/時事通信フォト
2011年12月29日正午、平壌の金日成広場で行われた金正日総書記を追慕する中央追悼大会で3分間の黙とうする軍の幹部ら(北朝鮮・平壌)

野田内閣時代から9年半にわたり官邸に

外交・安全保障政策の司令塔である国家安全保障局(NSS)が発足したのは2014年。従来、外務、防衛、警察等の省庁がそれぞれの行政目的で情報を収集し、政策決定も縦割りに対応していた外交・安全保障分野について、総理官邸が統括することを可能にするため、安倍晋三前総理の肝いりで創設された組織だ。その二代目局長を務めた北村滋氏が2021年7月に勇退した。

北村氏は、警察官僚から内閣情報官を経て、国家安全保障局長を務め、野田内閣、第二次・第三次・第四次安倍内閣、菅内閣の実に9年半にわたり、官邸で国家のインテリジェンス、そして安全保障政策を統括することを通じて歴代政権を支えてきた。外交・安全保障の舞台裏を取り仕切る中で、未熟とも言われる我が国の情報機関や安全保障機構が抱える課題を如何にして乗り越えてきたのか。また、米中が厳しく対立し、地政学的にも最も緊張の高い地域となったインド太平洋地域。ここに位置する我が国に、将来どのような課題があるのかを聞いた。

日本の情報能力は高まってきた

——かつて後藤田正晴元副総理は我が国独自の情報機関を持つ必要性を訴える一方、情報の「米国依存」を嘆いておられました。我が国のインテリジェンスの現状についてどのように考えていますか。

例えば日米間についていうと、相互協力というのは、当時よりはかなり進んでいると思います。我が国は、東アジアにあって中国、朝鮮半島、ロシアに近いという地政学的な特徴がある。このため、ヒューミント(人的情報活動)でもテクニカル・インテリジェンス(高度な情報技術を用いた情報活動)でも、我が国では、米国では入手できない情報が取れる。そういった意味では、後藤田さんの時代より、日米相互補完性は高まっていると思います。

——日米相互補完性の向上も含めて我が国の情報機能の拡充は世論のアレルギー反応も大きいかと思います。

特定秘密保護法の策定・施行の経験がありますが、世論の様々な反応があることは重々承知しています。しかし、経済活動までもが安全保障の主要素として語られる現在、諸外国の動きに出遅れることはできない。今後、どのようなタイミングで新たな制度を作っていくかが、大きな課題です。