4カ月分の食糧と1000リットルの水を確保

ヘイエルダールが地元の人から聞いた耳寄りな情報のひとつに生タマゴを石灰の入った壺の中に入れておくと長持ちする、という古代の方法があった。

出航する2、3日前に、糧食と水とあらゆる装備が筏の上に積み込まれた。陸軍の糧食を入れた硬い小さなボール箱に、6人に対して4カ月分の糧食を確保した。ヘルマンがアスファルトを熱して、一つ一つのボール箱のまわりにかけて平らな膜を作ることを思いついた。それからその上に砂をまいて互いにくっつきあわないようにした。それらはきちんと包装し、竹の甲板に積み込んだ。甲板を支えている9本の低い横梁おうりょうの間の空間がそれでいっぱいになった。

高い山の上の水晶のように澄んだ泉から持ってきた水の缶を全部で1000リットルあまり確保し収納した。これは波がいつも隣でしぶきをあげているように横梁の間にしばりつけた。水をあたためると腐敗しやすくなるから常に海の水にふれさせるためだ。

竹の甲板の上には、残りの装備と果物、根菜類、椰子やしの実がいっぱい入った大きな柳細工の籠をしばりつけた。

クヌートとトルステインは、無線のため竹の小屋の一部を占領した。あいたところには箱を8つしばりつけた。2つは科学的な実験とフィルムの箱、他の6つは乗組員ひとりひとりにわりあてられた。

海洋生物とのタタカイあふれる航海

コン・ティキ号は太陽神の巨大なシルシを描いた帆に風をいっぱいにはらませながらずっと順調に進んでいた。

トール・ヘイエルダール『コン・ティキ号探検記』(河出文庫)

ぼくが同書を読むのは3度目だったが、今回特に独自の統一テーマのもとに読んでいって気がついたのは、これまで読み込んできたいろんなケースの漂流記とくらべると、驚くほど乗組員らは食に対する欲望や好奇心が淡白で、このコン・ティキ号がもっともそのテーマに対して濃厚な内容だろうと思いこんでいたのがどうもまるでアテが外れていたことだった。いや、実態としてはこの探検記を記述しているヘイエルダールにそういう「あぶらっこい」ところが希薄だったのかもしれない。そのかわり海洋生物を食料にするタタカイが多岐にわたり何がおきるかわからない魅力あふれる航海になっている。

手に入るあらゆる漂流記のなかでこのコン・ティキ号の探検記が最高だ、とぼくが思っていたそのもっとも魅力的なうらやましい日々を象徴する出来事がある。

ある朝、厨房でその日の料理当番がフライパンに油をひいていざその日の炒め物を、と用意したときに海からいきなりトビウオがその手にぶち当たってきた――というエピソードだ。これこそ漂流記の醍醐味、とぼくは唸ったのだった。

本書にもまさしくそのエピソードが出てくるが、初めて読む人はどうなのだろうか。

筏での漂流は船とちがって舷側というのがなく乗組員が動き回っている甲板のすぐ隣が大海原なので、通常の船での漂流と違って海の生物の居場所がすぐ近くで接触も多いというところがあり、それが恐怖であったり楽しさであるような気がする。

その意味ではコン・ティキ号と海の生物との付き合いは濃厚、豊富である。でもほかの漂流記にまっさきに語られる「うまそう!」という思いが不思議に抑えられているのだ。

何度も読んでいるうちに今回初めてそのことに気がついたのである。