胃ろうの造設をめぐって分かれた意見

認知症を発症して以来、父親の診療方針をめぐって、兄妹はずっともめ続けた。亡くなる3年前に自力で食事をとるのが難しくなりつつあったころ、Dさんは、少しでも長生きしてほしいと、チューブで父親の胃に直接食物を流し込む胃ろうの造設を提案。妹は「食事が自力でとれなくなったら、静かに見送ってあげればいい。胃ろうで延命させるなんて、逆に残酷だ」と反対した。

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担当医は「お父さんは腸が延びていて、現在主流のPEG(経皮内視鏡的胃ろう造設術)で胃ろうを取り付けると、おなかの皮と胃の間に腸が挟まって腸に穴が開く可能性がある」と難色を示した。Dさんは、知人から昔ながらの術式である開腹手術で胃ろうを造設する方法があると聞き「開腹手術なら、腸を避けて造設できるのでは」とあくまで胃ろう造設に固執した。「開腹手術が90歳近い体にどれくらい負担が大きいか、想像できないのですか。逆に命を縮める結果になりかねません。術部から万が一細菌が入れば、感染症で亡くなる可能性もあります」と言われて、渋々引き下がった。

さらに父親が亡くなる1年前に膀胱ガンがみつかった。Dさんは手術を強く希望、医師は「年齢から言って、このガンはほとんど成長しないはずで、命を脅かすことにはならないと思う。手術するといってもお父さんの場合は侵襲的手技しかないから、体への負担が大きすぎて死期を早める可能性がある」と反対した。妹も医師の意見に賛成し、手術は見送られた。

Dさんは父親の死後も「成長が遅いというガンが1年前に見つかったということは、何年も前からガンはあって、見過ごしていたということ。あの医者はだから信用が置けないのだ。侵襲的と言っても、ガンの手術をしていれば、もう少し長生きできたかもしれないのに」と今も愚痴を言い続けている。

死の間際に修羅場が発生

修羅場は亡くなる寸前にやってきた。口をパクパクさせてあえぐような呼吸、いわゆる下顎呼吸が始まると、Dさんは「こんなに苦しそうにしているのに、なぜ心臓マッサージをしないのだ」と病室で激高した。

主治医は「これは下顎呼吸といって、亡くなる寸前に出る状態で、苦しみをあまり感じていないと言われています。お父さんにはもう心臓マッサージをする段階ではありません」と当初は渋ったものの、Dさんの勢いに押されて心臓マッサージを始めた。

若手の医師が代わる代わる心臓マッサージを行った。母親(89)は、長男であるDさんの最後の希望だからと好きにさせていたが、いつまでたってもDさんから「もう結構です。やめてください」という言葉は出てこなかった。

母親が「そんなに強くマッサージを続けたら、お父さんの胸の骨が折れてしまう。かわいそうで見ていられない」「あんた(Dさん)はお父さんがいつまでも死なないとでも思っているの。そんなはずないでしょう。もう諦めなさい」と叫び、「心臓マッサージをやめてください。お願いします」と泣いて止めるまで、医師団は仕方なく40分も心臓マッサージを続行した。

妹は「せめて、『心臓を長く動かすだけの無駄な延命治療は必要ない』とお父さんが言い残してくれていたら、死の間際にあんな修羅場を見ることはなかったのに」と肩を落とす。また「父を1分1秒でも長生きさせるために、兄があれほど懸命になるとは思っていなかった。父は十分生きたと思っている自分とは、考えが違いすぎて、ついていけない」と話す。