父親のケアがあるので4泊5日の修学旅行には行けない

手術が終わったあと、医師や看護師、病院のソーシャルワーカーから病状や介護サービス、介護認定、障害年金などの説明があった。このとき母親は立ち会えず、代わりに、伯母(父親の姉)が一緒に聞いてくれた。伯母は数年前にアルツハイマー病で夫を亡くし、夫との間に子どもはなかったため、幼い頃から和泉さんをかわいがってくれていた。ひとり暮らしだった伯母は、和泉さんを時々食事に連れて行ってくれたり、欲しい物を買ってくれたりするなど、良き相談相手だった。

写真=iStock.com/utah778
※写真はイメージです

介護認定調査の結果、父親は要介護1と認定される。最初に入院した病院から、3カ月後にリハビリ病院に転院すると、父親は、手術のあとしばらくは車椅子だったが、約半年間のリハビリのかいあって、杖をつけば歩けるまでに回復した。

2007年11月、父親は退院。和泉さんと伯母とケアマネージャーとで話し合い、在宅介護をメインに、週2回のデイサービス利用で介護を進めていくことになった。

ところが父親は、デイサービスを拒否。朝、行ってくれたとしても、自分の携帯電話で和泉さんに、「迎えに来てくれ」と電話をかけてくるため、何度も迎えに行く羽目になった。

最も困ったのは、和泉さんが高校の修学旅行に行く前日だった。4泊5日で北海道に行くため、ケアマネージャーに相談して初めてショートステイを利用することになっていたが、父親は断固拒否。「一人で留守番くらいできる!」と言い張りテコでも動かない。

「父は、僕を修学旅行へ行かせたくないわけではなく、おそらく、脳梗塞による高次脳機能障害で、まともな判断力がなくなったせいでショートステイを拒んだのだと思います」

困った和泉さんは、母親に連絡。

「僕はもう、修学旅行に行くつもりはなくて、『まぁ、どうせ父ちゃん見てないといけんし、積立金が返ってくるけんラッキー!』くらいに考えていて、母にもそう言いました。だけど母から、『あんた小学校のも中学校のも修学旅行に行ってないけん、高校の修学旅行くらいは行ってみたら?』と言われて……」

母親はどうしても和泉さんに修学旅行に行ってほしかったようだ。母親は、和泉さんが4泊5日の旅行で不在の間の介護スケジュールを組んだため、無事和泉さんは修学旅行へ行くことができた。

しかし、高校生活が終わり、働き始めた和泉さんに待ち受けていた日常は、一般的な1年目の社会人では想像がつかないほど過酷なものだった。(以下、後編へ続く)

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