マイナス50度の地では「水を飲むと死ぬ」

カムチャツカからの船で光太夫らがユーラシア大陸に上陸した地はヤクーツクであった。

そこで我々もヤクート自治共和国(当時)の首都ヤクーツクにモスクワから飛行機で行った。イリューシンという独特のキーンという音をたてるジェット旅客機に乗って9時間。驚いたのはシートベルトがない席もあるし自分の席そのものがない(立ちのり、実質的にしゃがみ座りのりの)客が十数人いることであった。

モスクワはマイナス20度。ロシア人は今日はナマヌルイ、と言っていた。着陸したヤクーツクの空港はマイナス48度であった。

同じ地で200年前にカムチャツカからやってきた大黒屋光太夫をはじめとした日本人漂流民をご苦労さまでした、と心からお迎えする心境だった。

光太夫らがオンボロの手作り船でこのヤクーツクに到着したときと少し季節が違っていたが、当初17人いた漂流者がここにたどりつくまで次々に死亡し、今は6人しかいない。しかもさきほど書いたように故郷からはさらに遠のき、ロシア政府からの帰国の許しはまだ出ていない。

光太夫の不屈の闘志と努力による日本帰郷へのあらゆる糸口をたどる苦難の10年間はこれからがもっとも内容の濃い血みどろの闘いになるのである。

かれらの想像を絶するようなマイナス50度などという原野でのキビツカ(馬そり)による移動や、馬での移動などぼくも凍傷にやられながら闘ってきた。原野での拷問のような生きるために食べる体験で、一番驚いたのは「水をのんだら死ぬ」という地元の人からの本気の注意だった。体のなかにあまりにも冷たいものが入ってくると臓器が持たないらしいのだ。この頃から三十数年後にぼくは同じ場所に行きついたが、やはり水をそのまま飲むと死ぬといわれた。

「嘘だと思ったらやってみろ」

と、いわれた。少し考え、嘘だと思わないからやらない、と答えた。

写真=iStock.com/Onfokus
※写真はイメージです

気温もマイナス50度などになると飛んでいる鳥が落ちてくる。人間は空中で口をあけるのが辛くなる。野外食に二度焼きのパンなどあたえられても芯まで凍っているからだろうか持って重たい、ということも驚きだった。重たい野外のパンを食べるには狼の歯が必要だ、とも言われた。でも胃のなかになにか入れないとひたすら体力は落ちていく。このジレンマが辛かった。

黒毛の馬も汗が凍って白馬に変わる

その頃、ヤクーツクの外を歩く人は必ず毛皮の外套をつけ皮の帽子を被り、狐の皮の「そこなしぶくろ」と呼ばれるものに両手を差し込んで、鼻から下を覆って歩くのである。こうでもしないと凍傷にかかり、そうなると迅速かつ的確な治療をしないかぎりどうかすると鼻や耳が落ち、頬のあたりがただれ落ちてしまうから用心しろ、といわれた。

『北槎聞略』にはキビツカの寒さのことが書いてある。馬車に客車がないタイプのものでは牙のような向かい風にたちむかわなければならなかった。

それよりは乗っているほうも絶えず体を動かす馬での移動のほうがまだ楽だった。

けれど驚いたのはぼくが乗った馬は間違いなく黒毛だったのだが30分ほど走らせて小休止するときに降りたら乗っていた馬はまったくの白馬になっていたことだった。馬はいつでもハダカであり、マイナス60度でも50度でも走ると汗をかく。汗は全身の毛について瞬時に凍る。そうして束の間での変身。夢のような白馬の誕生であった。

椎名誠『漂流者は何を食べていたか』(新潮選書)

こんなふうに極寒のシベリアを2カ月ほどオロオロ動き廻っているうちに光太夫の残していった一冊のノートを見せてもらった。

光太夫はもうロシア語はなんでも理解し、なんでも書けていた。あちこちに「憎むべきはベツボロドコ」という日本語の怒りのこもったなぐり書きがいくつもある。この悪徳の政治家がぺートルボルグにいるエカテリーナに帰国嘆願にいかせて下さい、という光太夫の請願をことごとく闇でつぶしていたのだった。

それから別のページにもっと優しい筆致でひっそりと「おしま」という名前がある。勿論これも日本語である。

漂流10年後に光太夫は生き残った磯吉と2人でロシア船で日本に送りとどけられる。

17人いた乗組員は13人が壊血病などで死亡。2人がロシア正教に帰依してロシアに残留。

光太夫は帰国後ただちに江戸に留めおかれ、蘭学者、桂川甫周の長い長い時間をかけた、つまりは「調書」をとられての幽閉が続き、その後、一時帰郷した。

文政11年(1828年)4月。光太夫は御薬園にて死去。享年78歳。

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