放射能入りの水筒を手に無人島を歩く

重くなるので水はまったく持ってこなかった。核実験で島の形が変わり、いままでなかった山のてっぺんに湖ができているという情報があった。雨が多いから沢山の小川が流れている。それを飲むことにしていた。ただし飛行機をアテンドしてくれたアラスカ野郎が言っていた。「当然ながら放射能でジイジイ鳴るところもあるよ」

光太夫の頃にはなかったものだ。そこでめしをつくるために水を汲むときガイガーカウンターで一応計測する。かなり反応があったけれどだからといってどうしていいかわからない。

「よおく煮沸すれば大丈夫なんじゃないの」などといって飲んだり料理につかったりしていた。200年前の漂流民のやり方でいくことにした。

翌日から放射能入りの水筒を持って我々7人は『北槎聞略』に書かれているらしいところを地形を見ながら調べて歩いた。

クルマというものが一切ない無人島だ。簡単な撮影機材と飲み物を持って行ったが食べ物は入れものがなく、みんな気持のどこかしらでここに着くまでどこかで食い物を売っている店があるんじゃないか、と思っていたようだ。

その日もあいかわらず5分ごとに天気がかわるような一日だったが、湖と湾はあきらかに水面の色が違うのですぐわかった。湾にはアザラシやラッコがのんびり浮かんでいる。このアムチトカにはロシア人がラッコ、アザラシ、トドなどを島人たちにとらせ、煙草や木綿、皮船を作るために用いる牛や馬の皮などと交換、というかたちの貿易をしていた。光太夫はやがてそういうロシア人らと出会うのだがさすが文明国の人なので漂流者に接する態度も親切で、なんとか日本人の帰国に役だてればという働きをしてくれた。しかし言葉が殆どわからないのでそういう親切が本格的に通じるにはまだ時間がかかる。

ロシア人らは光太夫らを倉のなかに泊まらせた。そこには越冬用に蓄えた干し魚、雁、鴨などがたくさん入っていたので、あまりの臭気に耐えがたかったらしい。

アムチトカは歩いて回るにはあまりにも広すぎるので我々探索隊は確実に見ておくべきところをまずはじめに探訪するようにした。

そのひとつはアレウト族の住居だった。これは注意して見ていくと土手の下の斜面などでわりあい簡単に見つかった。洞穴の上に流木を使ったのだろう細い丸太をならべ、その上に蔓性の草などを葺いてあったが注意しないと落とし穴のような屋根だった。獣があらしてしまったのか、その中には人の住んでいた跡のようなものはみつからなかった。

神昌丸が難破した場所らしきところも見にいった。岩だらけの小さな岬状のところがあり、その近くに洞穴があった。

「尿樽を酒樽と勘違い」厳しい毎日の漂流記にも笑い話

『北槎聞略』に興味深い話がある。島に着いてしばらくして光太夫は神昌丸を見にいった。神昌丸は錨を擦りきらせてしまい暗礁に触れ底に穴をあけて船の積み荷の殆どが流失してしまったようだった。光太夫はちからをなくし、疲れてしまって近くの洞穴に身を横たえているとやがて寝てしまった。夕方ちかく、なにやら騒々しい音や声が聞こえる。

なにごとか、と思って覗いてみると水没した船のなかからロシア人が日本酒の樽をみつけてきて、それをみんなで飲んで大騒ぎをしているのだった。その様子をアレウト人も見ていて、自分たちも同じものを、と樽を引っ張りだしてきた。そうしてみんなでそれを急いで呑みはじめたのだがたちまち嘔吐し、ぜいぜい吐きだしている。よく見るとその樽はシケのときにふなべりからはできないので便器がわりに使っていた尿樽だったのである。厳しい毎日が綴られている漂流記だけれどときにこういう笑い話も含まれているとなんだかホッとする。