もう一方の当事者である旭川医大は、早々に記者会見を開いて私人逮捕の正当性を主張したが、北海道新聞社は「記事をもって説明責任を果たす」としただけで、記者会見も行わなかった。

旭川医大学長の不祥事は教育界を揺るがす全国的なニュースになっており、その取材過程で起きた記者逮捕事件もまた、日本中の関心事であった。にもかかわらず、注視していた人たちの期待を見事に裏切ったのである。

情報が瞬時に駆け回るネット時代の今、北海道新聞の読者はネットを介して全国に広がっているのに、いまだに直接の購読者しか目に入らないようでは時代錯誤もはなはだしい。ネット時代をリードするにふさわしい報道機関とは言えないだろう。

北海道新聞のダブルスタンダード

もし、北海道新聞が逆の立場に立ったら、どうするだろうか。

例えば、政府や大企業が、不可解な建造物侵入容疑の逮捕者を出し、理解に苦しむ「あいまいな調査報告」を出したら、報道機関の一翼として情報公開を迫り、説明責任を求めて、徹底的に追及するに違いない。

厳しく権力に迫る一方で、自らに求められた説明責任を果たせないなら、ダブルスタンダードといわれ、ジャーナリズムを標榜することは難しくなる。その結果、「新聞の公器性を自ら放棄した」と非難されるのも致し方ない。

小林亨編集局長の「ひるむことなく、国民の『知る権利』のために尽くしていく」という締めくくりのコメントがむなしく響く。

この「調査報告」を読んで、どれほどの読者が「北海道新聞はやはり信頼できる」と納得しただろうか。北海道新聞は、気骨あるジャーナリストを多数輩出してきた新聞社として知られるだけに、今回の事件に対する対応は残念でならない。

反応が鈍かったメディア各社

もう一つ気になるのは、事件に対するメディア各社の静かな反応だ。

いずれも、警察発表はじめ旭川医大の記者会見の模様や北海道新聞の「調査報告」を、淡々と報じていた。突っ込んだ論評を展開したケースは少なく、逮捕の是非を含めて論じること自体に二の足を踏んでいるように見受けられた。

北海道新聞に突き付けられた「取材の自由と取材の正当性」という命題は、メディア界全般に投げかけられたテーマでもある。

今回の事件でいえば、公的機関が「施設管理権」を盾に記者の立ち入りを拒むことが常態化すれば、「報道の自由」が制約され、国民の「知る権利」が脅かされる事態につながりかねないという問題があった。

だが、真正面から取り組まねばならない課題を前にして、メディア界全体が立ちすくんでいるように見える。

「国境なき記者団」による「報道の自由度ランキング」では、日本は2021年も67位と低迷したままで、「記者が権力監視機関としての役割を十分に果たせていない」との懸念が示されている。これを克服できるかどうかは一新聞社の力だけでは難しい。