タレントの福山雅治さんが、子どもの写真を掲載した週刊誌について、ラジオ番組で「一線どころか随分越えている」と批判したことが話題になっている。ジャーナリストの赤石晋一郎さんは「週刊誌には必ず守る2つのルールがある。今回の報道もそれを守っているが、さらなる議論が必要な時期かもしれない」という――。
2017年9月5日、ヴェネツィア・リドで開催された第74回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品された映画『三度目の殺人』のプレミアに出席する俳優の福山雅治さん
写真=AFP/時事通信フォト
2017年9月5日、ヴェネツィア・リドで開催された第74回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品された映画『三度目の殺人』のプレミアに出席する俳優の福山雅治さん

「芸能人だから我慢して過ごしていかなきゃいけないのは違う」

福山雅治が批判の矛先を向けたのは「吹石一恵 子どもとのんびり歩いた『帰り道』」(『FRIDAY』 7月9日号)という記事だった。この記事では、福山の妻である女優の吹石一恵が子どもを連れて帰宅する様子を描き、吹石と子ども(全身モザイク)の2ショット写真を掲載している。福山は自身がパーソナリティーを務めるTOKYO FM「福山雅治 福のラジオ」において、次のように怒りをぶつけた。

「子どもの写真を撮られ、それが掲載され、かつ販売物となって世の中に出ていくことに黙っていることはできない。幼稚園に通って毎日通る場所で、全然知らない人が写真を撮っている。しかも、編集の方、さまざまな方が子どもの顔を知っていて、データを持っているって、とても怖いこと。守られるべきものが守られていない。一線どころか随分越えたところにきた。芸能人だからと我慢して、これから何年も過ごしていかなきゃいけないのは違う」

これまで週刊誌記事については「完全スルー」を貫いてきた福山が今回、異例の問題提起を行ったのは、子どもの写真が掲載されたことにある。なぜ、このような報道がされ、問題視されているのか。「一線を越えた」と批判された問題について、メディア側とタレント側のそれぞれの立場を踏まえて考えたい。