このままでは「個人的意見」「週刊誌批判」で終わってしまう
子どもを含めたプライベートをビジネスにしているタレントが存在する以上、芸能事務所側も強く週刊誌側を批判できないという後ろめたさもあり、報道を黙認してきたというのがプライバシー報道の現状なのである。
例えば、『週刊文春』では「キムタク(木村拓哉)の犬の散歩問題」という事件があった。
文春がキムタクの犬の散歩写真を撮影した際に、キムタク側は「これから犬の散歩ができなくなるので、犬の顔を消してほしい」と主張。文春はキムタクの要望通り犬の顔を画像処理し、消した形で記事を掲載した。文春内には「犬にもプライバシーがあるのか?」「SNSに犬の写真が堂々と公開されているが?」という議論も起きたというが、そこはタレントの要望に配慮したという。こうしたタンレントのプライバシー報道については、水面下で週刊誌側と事務所の非公式合議を経て報道内容が決められていくことは少なくない。
まとめると、プライバシー報道については、週刊誌側も、タレント側も、それぞれの思惑があり、一定のルールの中でバランスを取ってきた。一方で、福山のようにプライベートは一切公開しないというタレントは、こうした状況に不満をため続け、今回の週刊誌批判となったのである。
福山発言のインパクトは大きく、ワイドショーを中心に週刊誌批判の声が上がっている。しかし、一方で芸能事務所側は公式見解を明らかにしたものの、編集部への正式抗議には至っていない。芸能界側にも週刊誌側にも議論を深めようという動きはなく、筆者には騒動の沈静化を図っているように見える。
現状では福山の発言は「個人的意見」に終わってしまっている。ワイドショーや世論は同情を寄せているものの、「週刊誌はいかがなものか」という批判に終始し議論が深まる様子はない。
ここで「週刊誌はもう要らない」とするのでは思考停止である。問題の背景には何があったのか? そして解決策はあるのか。「週刊誌側の問題」と「タレントサイドの問題」の両面を検証し、深堀りすることで、福山発言は初めて大きな社会的意義を持つことになるはずである。
つまり、「週刊誌は酷い」という感情論的な議論を行うだけでは、「問題提起」は時間とともに忘れ去られてしまう可能性が高いのだ。