実現しなかったインタビュー
「河崎さん、いま渦中にいる兵庫県知事の斎藤さんのインタビュー記事、書いてあげてくれませんか」
さる内閣筋からの打診。9月19日、兵庫県議会の全会派86人の議員全てが斎藤元彦前知事に対して不信任案を提出し、即日可決。だが本人は辞任を否定する構えを崩さず、異例の議会解散、もしくは斎藤氏の自動失職を待つかの二択となった、直後の連休のことだった。
いくつかのやりとりを経て「いつでも、どこへでもうかがいます」と私は全スケジュールを空けて取材確定を待った。
「どこのメディアの編集者へ掲載を打診しようか、テレビにも声をかけた方がいいだろうか」と考えを巡らせていたところ、「斎藤さんに連絡がつかなくなっている。もう少し待って」との連絡を最後に、その案件はピタリと動かなくなる。だが実はその連休、斎藤氏はNHKと民放2局の番組に出演し“メディアジャック”。
「なるほど、テキスト記事よりも動画になるほうを斎藤氏は選んだのだな」と私は理解した。
彼が企図していた自動失職から次の知事選までは最大50日。深い洞察分析は行えるが公開まで時間のかかるテキスト記事ではなく、加えられる(友好的な)洞察分析は浅くなるが公開は瞬時のテレビで、スピード感を重視して動く。
思えばそれは当時、「おねだり」「パワハラ」に加え、「知事ポストへの執着ぶりが理解不能」「もしや何らかの病では」とまで重ね塗りされた汚名をすすぐことなど不可能にしか見えなかった絶望的な状況で、斎藤氏が一人で戦うことを決め、動き出した瞬間だったのだ。