11月17日に行われた兵庫県知事選挙で、県議会から不信任決議を受けて失職していた前知事の斎藤元彦氏が、110万票以上を得て当選した。コラムニストの河崎環さんは「権力にはめられたという勝手な陰謀論、理不尽と闘う被害者という認識に、“ネット民”が共感。さらに、誰もが手軽にその手の偏った情報にアクセスできるネット上の露出が加わり、『かつて石礫を浴びた絶望の中から不屈の精神で再選へ立ち向かう孤高のダークヒーロー』が生まれた」という――。
兵庫県知事選で再選を果たし、取材に応じる斎藤元彦氏=2024年11月18日午後、神戸市
写真提供=共同通信社
兵庫県知事選で再選を果たし、取材に応じる斎藤元彦氏=2024年11月18日午後、神戸市

実現しなかったインタビュー

「河崎さん、いま渦中にいる兵庫県知事の斎藤さんのインタビュー記事、書いてあげてくれませんか」

さる内閣筋からの打診。9月19日、兵庫県議会の全会派86人の議員全てが斎藤元彦前知事に対して不信任案を提出し、即日可決。だが本人は辞任を否定する構えを崩さず、異例の議会解散、もしくは斎藤氏の自動失職を待つかの二択となった、直後の連休のことだった。

いくつかのやりとりを経て「いつでも、どこへでもうかがいます」と私は全スケジュールを空けて取材確定を待った。

「どこのメディアの編集者へ掲載を打診しようか、テレビにも声をかけた方がいいだろうか」と考えを巡らせていたところ、「斎藤さんに連絡がつかなくなっている。もう少し待って」との連絡を最後に、その案件はピタリと動かなくなる。だが実はその連休、斎藤氏はNHKと民放2局の番組に出演し“メディアジャック”。

「なるほど、テキスト記事よりも動画になるほうを斎藤氏は選んだのだな」と私は理解した。

彼が企図していた自動失職から次の知事選までは最大50日。深い洞察分析は行えるが公開まで時間のかかるテキスト記事ではなく、加えられる(友好的な)洞察分析は浅くなるが公開は瞬時のテレビで、スピード感を重視して動く。

思えばそれは当時、「おねだり」「パワハラ」に加え、「知事ポストへの執着ぶりが理解不能」「もしや何らかの病では」とまで重ね塗りされた汚名をすすぐことなど不可能にしか見えなかった絶望的な状況で、斎藤氏が一人で戦うことを決め、動き出した瞬間だったのだ。

悪党扱いしていたネット民

県職員による告発文書が「怪文書」扱いとなり、公益通報窓口へ送られるのではなく内部調査へ。知事の指示で副知事が率いたとされる犯人探しは、文書作成者であった元西播磨県民局長と、業務により疲弊し療養中と言及されていた元課長、2人の死へと導かれた。

「なにせ人が亡くなっていますからね」は、日本においては森友問題以来の正義の印籠だ。マスメディアにも全国区で「おねだり」「パワハラ」「人格に問題あり」とのイメージをこってりと塗りつけられ、斎藤氏が百条委員会へ出席する姿は見世物となった。

ましてエリートを存在の根元から憎むネット民には、問答無用でコテンパンの悪党扱いだ。「総務省官僚、大阪府の財政課長出身と、エリートの身分を悪用して県政を私物化し、人として不潔」「県のために何がしたいかよりも、そもそも知事というポストに執着があった人間」と出自や家庭状況に至るまであれこれと詮索され、そんな彼にたしかに味方はいなかった。

一方で、彼の置かれた状況に同情的な意見を持つ人もたしかにいた。

「おねだりだなんて、本人も心外だろうな。県知事や市町村の首長なんて、あらゆる業者から特産品を使ってください、食べてくださいといただきものばかりだよ。なるべくお断りするにしても、先方の思いを汲めばこそ受け取る場合もあるものですよ」

「中央で優秀だったのはわかる。実績に自信もあるのは理解できる。あの雰囲気だもの、本人としても清潔にやってきた自負があるんだろう。ただ、あの“ヒョーゴスラビア”なんて呼ばれる清濁ごちゃ混ぜの兵庫県だよ。仕事やコミュニケーションのスタイルという意味では、泥臭く地元とズブズブでやってきた県庁の風土と大きな摩擦が起きて、それをパワハラだと突き上げられたわけでしょう。組織の長なのに、組織に嫌われちゃったんだよ。それをどこまで“自分は間違っていない”で通せるのか、通すつもりなのか……」

だがそんな、政令指定都市・神戸市に加えてさまざまな成り立ちの市町村を擁する兵庫県という地方政治独特の事情を察する人たちも、遠巻きに眺めるのみだったのだ。

維新も自民も見放した

かつて自分を選挙で県知事へ押し上げたはずの維新も自民も、「製造物責任」の5文字とは視線を合わさずに斎藤氏を見放した。9月26日、自動失職し、涙ぐみながら出直し選挙へ挑む意志を口にした記者会見。兵庫県庁をあとにした時、「たった一人だった」斎藤氏の背中に漂うのは悲壮感以外のなんだったろう。

ところがそこに「四面楚歌からの復活」というエモいナラティブ(物語)を見つけたのは、斎藤氏をコテンパンに腐していた当のネット民だった。

スマホを介して人々に情報が伝播していくイメージ
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手のひら返しで生まれた“ダークヒーロー”

日本中から嫌われ、見放され、だが誰もが理解に苦しむほど諦めずに不屈の正義感で立ち上がる「鋼のメンタル」。どの事件や状況においても強者は誰で弱者は誰かを常に計り、往々にして“既得権益がある方”を一斉攻撃対象とするネットの大好物は、不遇な自分たちの姿を投影できる不遇のダークヒーローである。斎藤氏に向かい嬉々として石礫いしつぶてを投げつけていたネット民は、ふと目の前にいる男がまさにその不遇のダークヒーローとなりうる候補者であることに気づき、手のひらを返す。

「斎藤元彦という人は、県民のためにと自分の信じるところを不器用に一生懸命にやってきたところが、口下手なために地方メンタルの塊である県庁職員や県議会に理解されず歪んだ一斉反発を受け、製造物責任を取らない卑怯な維新や自民に見放され、いまや孤立無援だが不屈の精神で自分の信を県に問おうとしているのだ!」

地元から反発を受けたが戦い通す、という部分で石丸伸二氏にどこか似ている。だがやたらと能弁で世間をせせら笑うような余裕を演出する石丸氏とは圧倒的に違うのは、口下手(そう)で、報道陣の前に立って話をしながら懸命に涙ぐむのを抑える斎藤氏の「この人は不器用で世渡りが決してうまくなく、自民の(あるいは維新の、兵庫県のダークサイドの、ナントカ組織の、何でもいい)策略にはめられた人なのだ」という、「むしろこの人こそがかわいそうな被害者」な、新しいイメージだった。

権力にはめられたという勝手な陰謀論、理不尽と闘う被害者という認識、ネット民の共感は備わった。あと必要なのは、誰もが手軽にその手の偏った情報にアクセスできる、ネット上の露出だけだった。

N党が兵庫にやってきた

そこで準備万端に兵庫へやってきたのは、ネットを使って選挙を賑やかすことにおいてもっとも機を見るに敏で、選挙で稼ぐことをビジネスモデルとする「NHKから国民を守る党」だった。

全国でネット民を釣ってバズらせ、そのバズを地方の有権者へ流して地元を煽るのに、神戸サイズの大都市を持っている兵庫はちょうどいい。YouTubeやXで煽って、比較的若い(高齢者じゃない)有権者を投票所へ行かせる。ネット巧者にとって、いま全国の注目度が高い地方選挙は、すでに仕上がっている全国区の舞台で赤子の手をひねるようなものだ。

県民は何を頼りに投票したのか

再選を期して無所属で立候補した斎藤氏に対し、尼崎市長を3期務めた稲村和美氏や元参院議員の清水貴之氏、N党党首立花孝志氏を含める6人が同じく無所属として出馬。どの候補者を支援するか、党や議会など組織内でも対応が分裂して混乱する中、「どこの党や誰がどの立候補者を推しているのか」との図解が全国放送の報道番組で掲げられ、詳細に解説された。

そこに、県内29市長による市長会の有志22人が稲村氏の支援を表明。N党立花氏は、自身の出馬は斎藤氏応援のためであるとするトリッキーなスタンスを表明、斎藤氏への援護射撃として街頭演説を繰り返すという、選挙という概念の上では斬新さ極まる勝手連携を行った。

ただでさえ無所属6新人とくだんの前知事から投票先を選ばねばならないというカオスの中で、県民はいったい何を頼りに票を投じるのか。

もはや「各自の個人的な正義に照らした好悪」以外ないのである。そうした好悪にもっとも効くものは何か、それはエモいナラティブである。では誰がその最もエモいナラティブを備えていたのか、それはかつて石礫を浴びた絶望の中から不屈の精神で再選へ立ち向かう孤高のダークヒーローである。

かくして、対抗馬として再有力視された稲村氏が「何と戦っているのか分からなかった」と振り返る選挙戦が、斎藤氏の当選確実が開票と同時に速報されるという驚きの「ゼロ打ち当確」で終焉しゅうえんした。

たしかに、稲村氏はあの選挙に担ぎ出され、22市長から支持表明されながら、何と戦っていたのだろう。それは多分まごうことなき、「現代の壊れた民主主義」だったんだろう。

「でもなんせ、人が亡くなっていますのでね」

選挙結果を見て、兵庫県出身で、公務員家庭で育った人がポツリと言った。

「ああいうことがあった時、転職じゃなくて自殺を選ぶのが地方公務員、なんですよね」

彼のやり方が正しかったかどうかじゃない。それは、地方の暮らしにおいては公務員であることが最も安泰であり誇りであり、単なる生活の糧ではなくて人生そのものである、だから死をもって抗議するという、都会の感覚では理解に苦しむ人もいるような行動に出るのだ、という地方サイズのアイデンティティーのあり方を説明する言葉だった。

選挙前、「なんであれ、人が亡くなっているのでね」が地元では一種の正義の印籠だったと先述した。これが示すのは、斎藤氏のやり方が人を抗議の死へ追いやってしまうほどの摩擦を、一度は県政に起こしたということに他ならない。

出直し選挙当選で県からの与信が万全となったわけでもなく、「まさかのゼロ打ち当確」が斎藤氏のこれまでの経緯を真っ白にしたわけでもない。彼の執った県政が人を死へ追いやった、その事実に対して、選挙結果もまた謙虚でなければならない。