「メディアの劣化を感じざるを得ない」
メディアを取り巻く環境は様変わりしている。
かつて新聞がメディアとして圧倒的パワーを持っていた時代と違って、今や上から目線で金科玉条のごとく「取材の自由」を掲げても、「報道目的なら何をしてもいいのか」と反発されてしまう。メディアに対する社会の受容度が変わってきているのだ。
近年、新聞やテレビなどのマスメディアに対する信頼度は低下の一途だ。
米国では、トランプ前大統領が、ニューヨーク・タイムズやCNNの報道をたびたびフェイクニュースと決めつけたこともあって、信頼度は急降下している。
米調査会社モーニング・コンサルトなどの2019年調査によると、新聞やテレビの9つの主要メディアに対する信用は平均で55%。共和党支持者に限れば、2016年の56%から44%に激減している。ギャラップの2017年調査でも、メディアを信頼すると答えた人の割合は41%で、2003年の54%から13ポイントも下がった。
日本は、総務省情報通信政策研究所の2019年調査によると、「新聞」68%、「放送」65%と、比較的高い水準にあるが、それでも徐々に下がってきている。
社会の支持を得られてこその「報道の自由」であり、「取材の自由」も担保されるが、メディアと読者との信頼関係を醸成する責任は、メディア側にある。取材対象との距離感を構築するのも、メディアの責任だ。
今回の事件は、北海道新聞のみならず、メディア界全体が時代の変化の波に乗り遅れている実態をあらためて浮き彫りにした。
そこにメディアの劣化を感じざるを得ず、権力チェックを主たる任務とするジャーナリズムにとって危機的状況が迫っていることを懸念せずにはいられない。