やるべきことから目を背けることにまったく抵抗を感じなかった

中学高校も「なにかに青春を燃やした」経験がまったくありませんし、大学受験も本当は美大・芸大に行きたいという希望を持っていましたが、入試科目のデッサンを乗り越えることもデッサンの練習を毎日つづけることも不可能だと自覚しリタイア。

会社に勤めることはできませんが、苦に思わない家事をすることで毎日雨風がしのげるのなら僕は十分です(写真=筆者提供)

母の「早稲田以上の大学ならお金を払う」という言葉に、「タダで4年間のモラトリアムを手に入れられる」とそのとき取りうるもっとも楽な道と感じての大学進学でした。周囲の異様にギラついた雰囲気になじめず受験塾には1年で2日しか行きませんでしたし、大学も所沢キャンパスへの往復4時間の通学時間に心がくじけ、早々に通わなくなりました。

大学卒業後もヒモ生活を続行しつつ、しばらくは放送作家事務所でリサーチ業務やバラエティ番組で出題される簡単なクイズを考えたりイベント現場に行ったりしていましたが、テレビ番組の会議の見えざるタテ社会の窮屈さにたえられなくなり、事務所通いも長くはつづきませんでした(テレビ局の人間、製作会社やフリーの放送作家が数十人集まってすすめられるのですが、あまりに大人数のため、だれが偉いかわからない……。大人を叱る見えない「大大人」のような見えざる大きな存在にビクビクしながらすすめられていくんです)。

そんな生活をしていれば、普通は「このままではマズい」とどこかで思い立つのだと思います。僕も「このままではマズい」と思うタイミングがやってくるものだと考えていました。

しかし、僕は部活で汗を流しているクラスメイトや就活生に囲まれながらもボンヤリしつづけることだけは筋金入りでしたし、やるべきことから目を背けることにまったく抵抗を感じませんでした。

ヒモ生活は“あるべき像”から逃げつづけた結果

さらに「このままではマズい」と思わなかった僕ですから、計画性だってありません。

パン派の彼女への朝ごはんによく作るフレンチトースト(写真=筆者提供)

「その日を自分なりに楽しく終えられればいい」ということだけを念頭に生きてきた結果、僕は自分がストレスに感じない家事能力などを必要とされる人に使うことで居場所をつくりだす生活スタイルに流れつきました。

世間ではこの生活を「ヒモ」と呼ぶということを知ったのは、他人から指摘を受けたあとのことです。

教育ママの意向むなしく、

「母のいうことを守って勉学に励み、いい大学に行き、大企業に勤める」

“あるべき像”から逃げつづけるようになった僕の姿勢は、ある種現実逃避をする引きこもりにも通ずるものがあるかもしれません。

しかし、大学卒業後も実家に居れば会社に勤めていない僕のもとに、母親から毎日のように就職情報が届けられることも安易に想像できたので、家の中にこもりきる生活もストレスに感じてしまいそうです。

「嫌」を発端とする原動力が内向きに現れ「ひきこもる」のではなく、僕の場合は女性の家に「出ずっぱる」。単に外に向く力として現れただけなように思います。