【青木】そうした支援を背に国政進出した安倍寛はじつに立派な政治家でした。軍部が圧倒的な力を持っていた時代に軍部の暴走や富の偏在を批判し、一九四二年のいわゆる翼賛選挙では大政翼賛会の推薦を受けずに当選を勝ち取っている。まさに反戦・反骨の政治家です。安倍晋三に爪の垢でもせんじて飲ませたいぐらいですが、残念ながら安倍寛は病気がちで、終戦の翌一九四六年に五一歳の若さで亡くなってしまう。

下関の邸宅や事務所用の土地提供も

その安倍寛の一粒だねである晋太郎が岸信介の娘・洋子と結婚し、毎日新聞の政治部記者を経て後継になるわけですが、晋太郎も決して左右に傾かないバランス型の政治家でした。また、下関は古くから日本と朝鮮半島との交流の要衝になってきた港町ですからね。現在も釜山と行き来する関釜フェリーが就航していますが、地元には在日コリアンもたくさん暮らしているわけです。

そして安田さんが一部指摘されたように、冷戦体制下では日本の保守政界と韓国の軍事政権が反共と利権を結節点に深く広く結びついていました。したがって韓国系の在日実業家が晋太郎を支援するのはとくに不思議でもなく、下関では邸宅や事務所用の土地の提供までを受けていた。

このうち下関の高台にある邸宅の敷地は晋太郎時代に登記が移され、現在は晋三名義になっています。

写真=iStock.com/Koshiro Kiyota
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これには事情があって、かつて「パチンコ疑惑」が右派メディアのキャンペーン報道で政治問題化しましたよね。主に社会党議員らがパチンコ業界と癒着しているという点が批判の的になったイデオロギー色の強いキャンペーンでしたが、「疑惑」は当時の自民党幹部だった晋太郎にも飛び火した。下関の邸宅などの土地は在日実業家から格安で提供されているではないかとメディアに指摘され、邸宅の所有権は間もなく晋太郎に移されたんです。

しかし、事務所の敷地は現在も在日実業家が立ちあげた会社が所有者になっているはずですよ。

「自民党の政治家と結びつくのは自然なこと」

【青木】こういう政治と地元財界の関係が健全かどうかといえば、相手が在日であろうとなかろうと不健全だと僕は思いますが、かつての日韓の関係を、とくに両国の政権をつないでいた深く密接な関係を踏まえれば、似たような話はあちこちに転がっていたでしょう。

ご存知のように在日コリアン社会にもいわゆる民団(在日本大韓民国民団)系と総聯系があって、民団系で商売をやっている在日実業家にしてみれば、自民党の政治家と結びつくのはむしろ自然なことでした。

もうひとつ指摘しておかねばならないのは、下関という街で安倍寛や安倍晋太郎が置かれていた状況です。日本海に面する村で醸造業を営んできた安倍家は、地元では絶大な支持を受けていましたが、選挙区内の最大都市である下関ではアウトサイダーだった。下関のエスタブリッシュメントはなんといっても林家でしたから。