【青木理(ジャーナリスト)】ええ。朴正熙などはまさにその代表格です。先ほどお話ししたように、朴正熙は旧日本軍の陸軍士官学校出身で、だから日本の保守政界と濃密なパイプを持っていました。朴正熙が暗殺された後にクーデターで権力を掌握した全斗煥(チョンドゥファン)そして盧泰愚(ノテウ)といった歴代大統領も軍出身の元軍人です。
パイプを失い広がった「排除の空気」
【安田】そういうことです。旧日本軍の影響を受けた親日派的な存在はかつては韓国軍人のなかに多かった。日本の右翼はその層と反共という点で一致し、同時に日本政界との利権のパイプ役となり、固く結びついていた。ところが文民政権になってからは韓国社会も変化し、民主主義を成熟させ、日本の右翼は韓国とのパイプを失うわけです。
かつての親韓派である右翼幹部は私の取材に対し、「我々は韓国の民間にもパイプを持つべきだった。そうしたら日韓の右翼は団結できたかもしれない。しかし我々は軍としかつきあいがなかったから、韓国自体とのパイプが断ち切られた。そうなると韓国を、日本の国益という視点だけで見るしかない。そうすると我々は韓国の反日が許せない。竹島をめぐる領土政策が許せない。我々としては韓国の内情に深く関われないし、内情を知る機会も手段も持つことができないから、こうしたスローガンしか出てこないわけだ」と解説しました。たぶんそのとおりだろうなという気がします。
そういったかたちで、民間の右翼から政権に至るまでが、二一世紀に入って、色彩を変え、姿を変え、内実を変えていく。排除の空気がどんどん広がっていく。それにともなって、社会もメディアも、そうした気配に感染してよりいっそう、差別的で排他的な社会が作られたのかなという気がしますね。
安倍一族と在日コリアンの濃密な関係
【青木】そうですね。二一世紀に入って色彩が変わった、というのはそのとおりだと思います。そして二〇〇二年の日朝首脳会談などが分水嶺になった。
一方、かつての日韓保守政界の親密な関係という意味では、安倍晋三の選挙地盤である下関の風景も象徴的でしょう。僕は現地で取材して『安倍三代』にも書きましたが、山口県下関市にある安倍の邸宅や事務所は、もともとパチンコ店を営んでいた在日コリアン実業家の土地だったんですね。
もちろん安倍晋三が手に入れたものではありません。彼にそんな才覚も懐の深さもあるはずがなく、父である安倍晋太郎が地元で在日実業家の熱心な支援を受けていたからです。その実業家はのちに帰化し、すでに亡くなっていますが。
せっかくなので安倍家のルーツを簡単におさらいすると、晋三の父方の祖父に当たる安倍寛が政治家として最初に国政進出を果たし、一九三七年の総選挙で衆議院議員に初当選しました。安倍家は日本海に面した小さな漁村で代々醸造業を営んでいましたが、安倍寛は村長などを務めて地元の人びとの厚い信頼と支持を集めていたようです。