【安田】それで、総裁選が秋葉原で盛り上がったから、二〇一二年の衆院選のマイク納めも秋葉原でやってみたらということになったらしい。するとやはり想像以上に人が集まって熱狂したから、これはいけると思ったそうです。

各党党首の「最後の訴え」に耳を傾ける有権者=2012年12月15日、東京・秋葉原駅前
写真=時事通信フォト
各党党首の「最後の訴え」に耳を傾ける有権者=2012年12月15日、東京・秋葉原駅前

「まるで国威発揚の祭典」選挙戦にはなかった姿

【安田】排他的な「マスゴミ出てけ」というシュプレヒコール、それから集まった人に配られる日の丸の小旗、それが一斉に打ち振られる様子――まるで国威発揚の祭典ですが、これはそれまでの選挙戦にはなかった風景であり、二〇一二年以降、自民党のありようとして僕の中に刻印されているんです。自民党は、まったく別のものになってきたなという強烈な印象ですね。臆面もなく排外的な姿を見せつけるようになった。

気がついてみたら、青木さんが言われたとおり、戦後民主主義的な価値観を持つ政治家はほとんどいなくなっていた。野中広務であるとか古賀誠、山崎拓など、癖のある、しかし戦後の価値観を身に宿した人が一線から退いて、戦争を知らない二世三世議員が自民党の中心となった。つまり、風景だけじゃなくて内実までも変わっていったわけです。

排他的なナショナリズムが行き渡っていくのは、自民党だけのことではない。日本の右派と呼ばれている人たちが、きわめて差別的な嫌韓の姿勢を強めるのは、やはり二一世紀に入ってからだと思います。

たとえば昔の右翼って、僕も取材しましたけど、台湾や韓国とは、反共産主義の防波堤、反共の同志として、連帯していたわけです。いまではすごく排他的な運動をしている瀬戸弘幸という日本版ネオナチのような人がいて、街頭でハーケンクロイツを掲げてあちこちでデモをやり、あいちトリエンナーレ糾弾を支援し、僕や青木さんの批判などをブログに書いている。ところが彼は、若いころには韓国の農村開発運動――セマウル運動に参加していて、韓国に実際に出向いて農村で作業をやっていたんですよ。

右翼にとって韓国は同志だった

【安田】また、一部の右翼団体は、韓国で軍事訓練のマネゴトなんかをしていたわけです。つまり、右翼にとっては反共の同志として韓国が存在していた。そしてまた、かつては右翼の構成員に在日コリアンがいたことも事実です。

僕はある右翼団体の幹部に聞いたことがあります。「なんでいま反韓・嫌韓なんですか?」と。いまや右翼団体もそのへんのネトウヨと思想そのものが変わらなくなっているから、「昔は韓国とは、反共の同志だと言って、がっちり手を握っていたじゃないですか」とくと、「そのとおりだ。じつは韓国が文民政権になってからパイプがなくなった」という答えが返ってきました。

つまり日本の右翼が向き合ってきた相手は韓国の一般庶民ではなく、軍や情報機関の人間だったんです。日本の陸士上がりの軍人なんかが韓国のなかにけっこういたんですよね。