20世紀まで日本の保守政治家は韓国と親密なつながりを持っていた。たとえば安倍晋三元首相の義理の祖父である岸信介は、日韓協力委員会の日本側初代会長。さらに父である安倍晋太郎は下関で在日実業家の熱心な支援を受けていた。そうした関係はなぜ「嫌韓」に変質したのか――。(第1回/全3回)

※本稿は、青木理・安田浩一『この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体』(講談社+α新書)の一部を再編集したものです。

自由民主党
写真=iStock.com/oasis2me
※写真はイメージです

自民党が決定的に変質した光景

【安田浩一(ノンフィクションライター)】拉致問題以降、自民党が変質していった過程への青木さんの分析はとても興味深いものでした。僕は永田町にはくわしくないんだけど、ただ、僕が自民党を見ていて決定的に風景が変わったなと思ったのは二〇一二年。もちろんそれまでにも青木さんが話されたような紆余曲折はあって、二〇〇二年以降は安倍的な価値観に支配されていくのだけれど、僕にとって非常にわかりやすいかたちで自民党の変化を意識したのは、二〇一二年末の衆院選挙戦の最終日、いわゆるマイク納めの日だったんです。

安田浩一さん
撮影=西﨑進也
ノンフィクションライターの安田浩一さん

マイク納めというのは、それまでは新宿とか渋谷とか池袋といった大ターミナルでやるのが慣例でした。ところが二〇一二年は秋葉原で行われました。僕はそれを見に行ったわけですね。これまで何度も、自民党の最後のお願いというマイクパフォーマンスを見てきたんだけど、それと秋葉原はまったく違う雰囲気なわけですよ。

まず聴衆に日の丸の小旗を配布しているんです。それをやっているのは、自民党のネットサポータークラブ、J‐NSCや若手党員。それで、夜七時くらいに自民党の大型バスが安倍を連れてくるんだけれど、その前に都議あたりが演説しているわけですよね。

その際にメディアがカメラの場所とかをキープするわけ。そこで、「カメラこっち」とか「マイクこっち」とか言って移動している報道陣に向けて、一斉に、罵声が飛ばされたんです。

「マスゴミ帰れ」と。とくに槍玉に上がったのは朝日や毎日、TBSで、「出てけ、出てけ」という声が見事なまでに湧き上がる。だれかが指揮をとっているわけではなく、自然発生的に聞こえたんだけど、「毎日帰れ」「朝日帰れ」「TBS帰れ」と、延々とシュプレヒコールが繰り返される。これは、それまでなかった光景だったと思います。

秋葉原に集まった聴衆の熱狂

【安田】以降すべての国政選挙戦は最終日が秋葉原なんですよ。自民党本部には遊説局という部署があって、僕は取材したことがあります。「なぜ秋葉原なんですか」と聞いてみたんですね。

そもそものきっかけは、二〇一二年九月に自民党総裁選があって、そのときに立会演説会を秋葉原でやってみたら思いのほか反応が良く、「オレ達の太郎!」という看板ができたりして、めちゃくちゃ人が集まってきた。秋葉原にはオタクが多いとかネトウヨが多いという意味ではなく、ただ親和性が高いというか、そういう人が集まりやすい環境があったというわけです。