社長も調理師も、愛知県内の職場から転勤してきた

社長の渋谷も調理師の竹口も、以前は愛知県内の職場で働いてきた。浜通りに来るのは初めてで、最初は様々な戸惑いの中でこのセンターを一から作ってきたのである。

もともと子会社の弁当工場の責任者を務めていた渋谷は、2014年の初頭に日本ゼネラルフードの社長から福島への赴任を打診された。同社は震災後に売りに出た東電の子会社・東京リビングサービスを買収しており、その縁でイチエフの食堂事業についての提案があったという。

だが、給食センターの建設予定地を訪れた渋谷は最初、「こんな誰もいないところに、どうやってスタッフを集めればいいのだろう」と途方に暮れたと振り返る。

いまでこそ大熊町の大川原地区には、町役場と復興公営住宅、東電社員寮や協力企業のプレハブ、広大なモータープールなどが建設されているが、当時はまだ周囲に雑木林や寒々とした空地が広がっているだけだった。

初回の説明会に集まったのはわずか8名だった

名古屋で働いてきた彼にとって、それまで原発事故は遠い出来事でしかなかった。まるで無人の映画のセットのような街を車で走りながら、「とんでもないところに来た」と思うだけではなく、彼は「こういうことだったんだ」と妙に納得する気持ちを同時に抱いた。

「高速のインターチェンジを降りても、除染をしている人たちが少しいたくらいで、あとは全く何もない。従来の食堂では女性が多く働いているわけですが、ハローワークや役場で相談しても、『あの辺りで働く女性はいないですよ』と言われ、かなり不安になりました」

構内の食堂に必要な人員は約100名を見積もっていた。しかし、いわき市内で募集広告を出してみたものの、初回の説明会に集まったのはわずか8名だったという。さらにいわき市の飲み屋で地元客と話しても、大熊町に給食センターを作ると言うと驚かれた、と彼は続ける。

「当時は地元の人からも『大熊って防護服を着ているんでしょ』とよく言われたものです。名古屋から来た僕らにとっては意外でした。地元の人でもそういう認識なのか、と。そのときは『30人しか集まらなかったら、どうやってオペレーションしようか』と、大熊に連れて来る予定のスタッフと真剣に話し合いました。こうなったら全員で作って、全員でマイクロバスに乗って発電所に行き、また帰って来て仕込みをやるしかないか、なんていう話が全く冗談には感じられませんでした」

幸いだったのは、不調に終わった1回目の説明会は応募者こそ集まらなかったものの、テレビや新聞社などのマスメディアの関心を引くニュースだったことだ。その後、渋谷は福島県内で10回ほどの説明会を開いたのだが、その度に知名度が上がり、参加者の人数も増えていった。結果として100名の定員に対して186名の応募者が集まり、彼はほっと胸をなでおろしたのである。