初の9秒台「フワフワしました。良い時は飛ぶんだなと思いました」

2月からの二人三脚はビジネスパーソンを含む読者の皆さんにも大いに参考になるのではないか。

写真=iStock.com/Graffizone
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2人は右脚に故障が相次ぐ原因を一緒に考え、股関節の動かし方の改善に取り組んだ。新たなメニューも取り入れると、4月の織田記念までの1カ月は、「100%、120%の力を出すようなトレーニング」も行い、メンタル面での壁も取り払ってきた。

結果、織田記念は10秒14(+0.1)で桐生、小池、多田修平らに圧勝して、完全復活への自信を深めた。そして「東京五輪の準決勝をイメージして臨んだ」という布勢スプリント決勝では、悲願の9秒台に足を踏み入れた。

「(左隣のレーンの)多田選手が途中まで前に見えたんですけど、今回はラストで集中力を切らさず、走りのペースを崩さないことを意識しました。その辺りがうまくハマってくれてラスト出せた要因かなと思います」

短距離は、駅伝やマラソンなどの長距離と違って、「頑張ろう」という気持ちが、かえって本来の動きを妨げてしまうことがある。ライバルを意識することで、動きが硬くなってしまうのだ。とにかくリラックスして、自分の動きを正確にこなしていく。

山懸はレースの度に、自身の走りを動画で確認。日々の練習でも動画で自身の動きをチェックしてきた。しかし、布勢スプリントの決勝では、未知なるスピードには脚がついてこない感覚があったという。

「10秒00は最後に追いつく感じがあったんですけど、今日はフワフワしていましたね。このスピード感にカラダが慣れていないことを感じましたし、飛ぼうという意識はないですけど、良い時は飛ぶんだなと思いました」

日本陸連科学委員会のデータ分析では、秒速11.62mの最高速度を55m地点で記録。9秒台に必要とされる「秒速11.60m」を上回っていた。ピッチは1秒間で5.00歩に到達。平均ストライドは2m32で、47.9歩で100mを走ったことになる。桐生が9秒98をマークしたときが47.3歩なので、ほぼ同じ歩数だ。

100m走は、スタート地点からゴール地点に向けて「1次加速」「2次加速」「等速」「減速」と大きく分けて4つの局面に分かれており、山懸は48歩でゴールまで駆け抜ける。その1歩1歩に目指すべき“かたち”があるのだ。わずか100mの戦いだが、山縣は気の遠くなるような作業を、一つひとつ分解して、ひたすら繰り返してきた。それはこれからも変わらない。

次なるレースは6月24日の日本選手権だ。

東京五輪の代表「3枠」を懸けた戦いになる。日本の男子100mはレベルが高く、サニブラウン、桐生、小池、山縣、多田の5人が参加標準記録(10秒05)を突破している。加えて2016年の日本選手権王者で、昨季10秒03をマークしているケンブリッジ飛鳥もいる。個人種目で代表をつかむにはライバルたちを蹴落として、「3位以内」に入らないといけない。

しかし、9秒台のダメージで脚に違和感さえ出なければ、今の山縣を崩すのは簡単ではないだろう。重荷を下ろし、「日本記録保持者」という新たな称号を手に入れた男の視界は良好だ。それどころか山縣はさらに先を見つめている。

過去2回のオリンピックは大舞台で自己ベストを叩き出した。2016年のリオ五輪は予選を10秒20(-1.3)で通過すると、準決勝2組は自己新の10秒05(+0.2)をマークしての5着。決勝進出まで0.04秒差に迫っている。

「東京五輪は準決勝でまた自己記録を更新して、今度こそは『決勝に残る』という目標を達成したい」

その自信にみなぎった口ぶりから察するに、決勝に残る=あわよくばメダルを、というふうに筆者には聞こえた。6月10日に29歳を迎えた山縣亮太。20代最後のシーズンにもうひとつの“野望”をかなえるつもりだ。

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