6月6日、陸上男子100mの山縣亮太(セイコー)が9秒95の日本新記録を出した。慶應義塾大時代はダントツのエース候補だったが、桐生祥秀ら年下の3人が9秒台を出す中、20代は度重なるケガもあり結果が出せずに苦しんだ。スポーツライターの酒井政人さんは「出場するレースは向かい風や弱い追い風ばかりで『風に恵まれない選手』と言われていましたが、五輪直前の今レースで地道な努力を実らせました」という――。
男子100メートル決勝で9秒95の日本新記録をマークして優勝し、笑顔で記者会見する山県亮太(セイコー)=2021年6月6日、鳥取市のヤマタスポーツパーク陸上競技場[代表撮影]
写真=時事通信フォト
男子100メートル決勝で9秒95の日本新記録をマークして優勝し、笑顔で記者会見する山県亮太(セイコー)=2021年6月6日、鳥取市のヤマタスポーツパーク陸上競技場[代表撮影]

「9秒95で日本新」山縣亮太が20代に苦しみぬいた厚い壁

2021年6月6日、鳥取県で開かれた陸上の布勢スプリントの男子100mで山縣亮太(セイコー)が9秒95(+2.0)の日本新記録を樹立した。(※:+は追い風、-は向かい風、単位はm/秒)

これまでオリンピックに2度出場して、ともに準決勝に進出。慶応義塾大卒のイケメンには華やかなイメージがあるかもしれない。しかし、これまで抱えてきた葛藤と泥臭い努力の積み重ねを知れば、今回の快走がどれだけ“価値”があるのか理解できるだろう。

2013年4月29日の織田幹雄記念国際大会、男子100m予選で当時・洛南高3年生だった桐生祥秀が10秒01(+0.9)という衝撃的なタイムを刻んだ。日本人が未到達だった「9秒台」という夢がグンと近づき、日本陸上界は色めき立った。

17歳の桐生に強烈なライバル心を燃やしていたのが、当時・慶大3年生の山縣だ。織田記念の決勝は桐生が追い風参考の10秒03(+2.7)で山縣が10秒04。世代トップを走ってきた山縣は3学年下の選手に先着されて、「先に9秒台を出したい」と口にしている。

そこから8年に及ぶ“9秒台をめぐる長い旅路”が始まった。