おまけに近隣に住む両親にも異変が「父は肺炎、母は認知症」
松野さんは、結婚後も週に1〜2回は実家へ顔を出していたが、2016年に入ると、当時62歳の母親におかしな言動が見られ始める。松野さんが来ると、必ず母親は、何も言わなくても松野さんが好きな、砂糖と牛乳を入れたカフェオレを作ってくれたが、ある日突然、「砂糖何杯入れる?」「牛乳どれくらいだった?」と訊ねるように。
また、きれい好きで、部屋はいつも整理整頓し、食卓の上には何も置かない主義だった母親だが、次第に実家が散らかり始めた。洗面所には洗濯洗剤が何十個と積み上げられ、キッチンの戸棚には封を切られた醤油が何本も並び、食卓の上にはモノが溢れ、食事ができないほどになってきていた。
「ヘルパーをしていましたし、介護認定調査員という仕事柄、『もしかして認知症かも……』とは思っていましたが、しっかり者だった母が認知症になった現実を受け入れられず、私は気づかないフリをして、だんだん実家から足が遠のいていきました」
ところがその年の8月。当時15歳の次男が、夏休みなので、松野さんの実家へ遊びに行って戻ってくると、「じいちゃん、ものすごく調子が悪そうだったよ」と言う。それを聞いた松野さんは、すぐに実家へ父親の様子を見に行った。すると父親は、足がむくんでパンパンに腫れ、熱もあり、「夏バテ気味で息が苦しい」と言ってフラフラな状態。松野さんが急いで病院へ連れて行くと、医師は父親の肺が真っ白に写ったレントゲン写真を見せながら、「肺炎」と診断。すぐに入院することに。
当時64歳だった父親は、42歳の頃に胃がんを経験している。胃を全摘出して以来食が細くなり、がんの再発こそなかったが、ずっと体力が戻りきらずにいた。
一方母親は、父親が肺炎で入院したと聞くとひどく動揺し、松野さんが父親の病院に面会につれていくと、トイレに行ったきり迷子になることが頻繁にあった。
母親は徐々に認知症が進み、ご飯は炊くことができたが、炊きすぎて悪くしてしまったり、できていた料理もやり方が分からなくなったりしていた。父親が入院し、松野さんは実家に1人きりになる母親が心配だったが、この頃、高3の長女は通っていた看護学校の実習先で患者の死に直面し、看護師になることを躊躇。アトピー体質だった長女は、全身にアレルギー症状が出てしまうほど悩み、結局、看護学校を退学。さらに、夫が数年に一度の不調で休職して家におり、松野さんは母親をサポートしたくてもできない状況に陥っていた。
幸い、当時80代の島暮らしの父方の祖父母が、入院した息子(松野さんの父親)を見舞うため、実家に滞在して母親をサポートしてくれることになり、松野さんはほっと胸をなでおろした。(以下、後編へ続く)