「とにかく相手に期待せず、話を聞くしかない」

関西で救急医療に関わっていた上田は“大事故”とも縁がある——。

大阪府立千里救命救急センター時代の2001年6月、大阪教育大学附属池田小学校で小学生を無差別殺傷した附属池田小事件が起こった。

「そのときはペーペーだったので、そんなに患者さんとか家族に関わるというところまではなかったです」

そして、2005年4月兵庫医科大学病院救命救急センター時代にはJR福知山線脱線事故――。

「ぼくは何人か患者さんを受け持っていたんです。その中の一人の若い女性が、お母さんとおばさんと一緒に乗っていて、2人が亡くなってしまった。彼女は背中を50針ぐらい縫ったけれど助かった。なんで自分だけ生き残ったのか、自分なんか死ぬべきやった、生きたらあかんかったと責めていた。震災のときと同じです」

彼女はCT(コンピュータ断層撮影)検査装置の中に入ると絶叫した。狭い場所に閉じ込められると事故の記憶が蘇ってくるというのだ。

「頑張れって言えないじゃないですか。まだ未熟で言葉がなかった。完全に同じ感情になるとか、同じレベルの悲しさになるのは無理じゃないですか。とにかく相手に期待せず、話を聞くしかない」

京アニ放火殺人事件容疑者の主治医として自問自答した言葉

2019年7月の京都アニメーション放火殺人事件では、上田は容疑者の治療を担当した。彼は90パーセント以上の全身火傷を負っていた。最初に診察したとき、命を助けるのは難しいですと、上田は京都府警の警官に言ったほどだった。

上田は容疑者を裁きにかけなければ、亡くなった方たち、遺族が悲しむと必死で治療した。その過程で加害者と向き合った。当初投げやりだった加害者は次第に上田に心を開くようになったという。

救急医療は、時に患者の“毒”を飲み込む。その重みに耐えきれず、精神的に参る、そして自殺を選ぶ医師もいる。

「緊張感が常に高ぶっているというのも原因の一つ。そしてもう一つは優しい人だからと思うんです。ぼくはもちろん悩むけれど、切り換え、割り切ることが出来る」

その割り切りを身につけたのは2001年に尊敬する父親を失ったときだった。

「父親が亡くなったとき、これより悲しいことはないなって思ったんです。そこでぼくは泣かなかった。それ以来、すごく冷静というか、感情を押し殺す癖がついてしまった。しゃべらへんかったら、感情がないというか、むっちゃ冷たく見えると言われますね」