台湾がデジタル化を遂げた地道な努力
もうひとつ、オードリー自ら「透明性」を実践していることがある。それは、自分の仕事のアカウントに届くメールをすべて公開していること。オードリーは自信を持って、次のように断言している。
「私のメールは完全に透明です」
彼女の仕事のアカウントに届くメールは、ほとんどが相談であったりアドバイスを求めたりするものばかりだ。そこで、送信者を匿名化し、特定できないようにしたうえで、メールの内容を公開しているのだという。
これによって、いわば「FAQ」が作成される。「FAQ」とは、説明書やマニュアルの巻末にある「よくある質問」の回答集だ。頻繁に寄せられる質問に対する回答を公開することで、似たような質問や同じような内容を参照することができるし、オードリー自身も以前と重複するような回答を書く必要がなくなるわけだ。
「台湾はデジタル行政が活発だ」と形容するのは簡単だが、その陰にはやはり一歩ずつ社会を啓蒙するオードリーたちの努力があるのである。
その一方で、オードリーは「台湾はデジタル行政が受け入れられやすい社会ですね」とも言う。インタビューの際、「なぜ台湾は、これほどまでにデジタル行政が活発なのか」と質問したところ、オードリーは次のように答えた。
「民主主義はこうじゃなきゃいけない、という『定型』の概念がありませんから」
若い民主主義と、大陸の脅威
台湾は1996年に初めて、国民が直接投票によって総統を選ぶ選挙を実現させた。これによって、台湾の民主化はほぼ完成されたといってよい。
それまでの台湾は、40年近くにわたる戒厳令による権威主義的な政治体制のなか、言論の自由や政治参加への機会を奪われてきた。台湾の人々は、1980年代後半から始まった民主化によって、初めて「民主主義」というものに接したのだ。
さらにオードリーはこう語る。
「それに拍車をかけたのがインターネットの登場です」
台湾は歴史的な経緯も相まって、政治の変化も激しかった。もともと共産党に敗れて中国大陸から逃げ込んできた国民党政府が台湾を統治していたが、国民党政府は「いつかは中国大陸に戻る」と言い張っていたから、政治体制から憲法にいたるまで、すべて中国大陸を統治するというベースで設計されていた。
やがて権威主義体制が崩壊し、民主化が進むと、オードリーが例として台湾の憲法が6回も改正されていることを挙げたように、台湾の統治に合わない制度は、次々と変えられていく。あたかも身体の成長に合わせて衣服を変えるようなものだ。