また“頑張っている人を応援します”はよく聞くキャッチコピーですが、“怠けている人を応援します”とはなかなか聞かないでしょう。一方で、実際は頑張っても頑張れないので、どうしても怠けてしまっているように見えているケースもあります。この場合も同様に、“怠けているからこそ応援しなければいけない”のです。
現実は矛盾だらけでも…
そういった人たちへの支援をどうしていけばいいのか、については、現代社会においてこれから考えていかねばならない課題だと思います。現実が矛盾だらけであることは承知していますが、やはり“頑張れない人たちにも頑張ってほしい”という気持ちがあります。
頑張れない人たち自身にも、頑張って“社会から評価されたい”気持ちもきっとあるはずです。元受刑者を受け入れている会社の中には、彼らが頑張れなくても何度もチャンスを与えて、決して見捨てることなく伴走し支援されている方々もおられます。何度も何度も裏切り続けた少年を決して見捨てることなく、更生に導いた幾つかの取り組みもあります。こうした事例を知るにつけ、頑張れない人たちもいつかは頑張れるようになるのではと希望を抱かずにはいられません。
問題の当事者は「親子」だけではない
4月に出版した『どうしても頑張れない人たち ケーキの切れない非行少年たち2』(新潮新書)では、こういった頑張れない人々について、本人たちはどう感じているのか、周りの支援者が少しでも工夫できることはないか、ちょっとした声かけや配慮で改善できることはないか、また支援者が良かれと思ってやっていることで逆効果になっていることはないか、大切なものを見失っていることはないか、支援者自身も頑張るためにどうすればいいか、といった観点から、私の考えを述べてみました。
なお、ここでいう「支援者」とは、仕事として援助職についている人に限定せず、さまざまな形で頑張れない人たちや頑張れない子どもたちの周りにいて、支援している保護者、家族、友人、学校の先生、会社の上司などすべての人たちを指します。
本の中では、支援される側は大人や子ども、障害の有無に関係なく「相手」や「本人」「対象者」と表現しています。ですので、恐らくみなさんの周りにいるもう少し頑張ってほしいと願う相手、つまり親から子どもへ、教師から生徒へ、上司から部下へ、先輩から後輩へ、といったすべての働きかけ(支援)を含み、みなさんにとっても身近な問題となるでしょう。