英語ができれば世界中どこでも仕事ができる

英語は、世界語だ。相手が国際的な仕事をしている人なら、どの国の人であっても、まず間違いなく英語で通じる。学者の場合に、英語が通じないということは、ほとんどない。世界経済圏が形成されつつあるが、そこでの共通言語は英語なのだ。この傾向は将来もっと顕著になるだろう。

このような傾向に対応して、世界の多くの国で、若い世代の英語力が高まっている。

たとえば、韓国では、若い世代で英語に堪能な人が非常に多くなった。そして、アメリカやカナダに進出して仕事をしている。

ロシア人の英語もうまくなった。昔のロシアのバレエダンサーは、英語が下手だった。1980年代までの世界では、人口1億人以上の国の国民は外国語が下手だった。人口が多いと、自国語だけで経済活動が成立してしまうため、外国語を学ぶ必要がなかったのだ。

しかし、いまのバレエダンサーは、外国語を自由に使いこなしている。そして、ロシア国内にとどまらず、外国のバレエ団で活躍するようになっている。

このロシアの状況は、外国語の必要性に関するかつての常識を覆している。ロシアだけではない。中国も変わってきている。東南アジアでも、英語で仕事ができる。

大きく見劣りする「日本人の英語力」

世界のこうした変化に比べると、英語に関する日本の現状は、残念ながら大きく遅れている。英語を世界語としてコミュニケーションが行われるようになった世界で、日本は孤立している。

私の観察でも、英語の実力が、私たちの世代に比べて低下している。英語の専門書や論文を読解できないし、英語の資料は最初から敬遠する。インターネットのサイトは、日本語のもの以外には、いっさい興味を示さない。

インターネットをはじめとして、英語の学習に役立つ情報技術が昔と比べて比較にならないほど進歩したにもかかわらず、英語の読解力が低下しているのだ。

日本はこれまで国内に十分なチャンスがあったが、これからは国内だけで十分かどうかは、分からない。しかし、「国内」という制約を外してグローバルな視点を持てば、いくらでもチャンスは広がっている。日本の若者は、韓国の若い世代のヴァイタリティを見倣みならうべきだ。