沖縄の問題ではなく、「日本という国のあり方」に関わる問題

第三に、現状の計画での土砂採取は、戦没者遺族が肉親を弔う権利を奪うという点で人権問題である。全体主義戦争で犠牲になった方々の遺骨を、遺族感情への配慮なく独断的に国策の道具にする権力の蛮行がまかり通るということは、あれほどの戦争の惨禍を経験してもなお日本社会に人権意識が根付いていないという現実を見せつける。

第四に、この問題は、日本では民主主義の原則すら守られていないことを象徴している。政府の土砂採取計画は、2016年に超党派の議員立法により全会一致で成立した戦没者遺骨収集推進法の精神に反するものだ。

同法は、「戦没者の遺族をはじめ今次の大戦を体験した国民の高齢化が進展している現状において、いまだ多くの戦没者の遺骨の収集が行われていないことに鑑み、戦没者の遺骨収集の推進に関し国の責務を明らかにする」との目的を示し、2024年までを「集中実施期間」と指定している。すなわち、国の責任で戦没者の遺骨収集を徹底することは国会を通して示された明白な民意であるはずだが、政府はその民意に逆行する土砂採取を強行しつつある。

2019年2月の住民投票で沖縄県民が辺野古新基地建設反対の民意を示した際、当時の岩屋毅防衛大臣は「沖縄には沖縄の当然民主主義があり、しかし、国には国の民主主義というものがある」という、地方自治の原則を完全否定した答弁を行った。辺野古新基地建設は、一貫して民主主義の原則に反した方法で強行されているのである。

以上4点から見えてくる通り、辺野古新基地建設の土砂採取問題は、決して「沖縄の問題」ではなく、「日本という国のあり方に関わる問題」なのである。

無知・無関心の積み重ねが、政権の横暴を生み出してきた

従って、主権者である日本国民一人ひとりがこの問題に関心を持ち、権力側に問題提起をしていくべきである。人権や民主主義に対する配慮に欠く権力を放置することは、自らの首を絞めることになるはずだが、私たちヤマトンチュはこの問題に向き合う責任すら沖縄に押しつけている。

今回のステートメントで私たちが最も重視しているのは、「当事者意識を持って学び、議論する、開かれた場をつくること」である。決して辺野古新基地建設反対の立場を強いるものではないし、必ずしも何かしらの具体的な運動が「答え」として想定されていて、それを即座に行うことを求めるものでもない。

私たちが目指すのは、具志堅氏をはじめとする沖縄の方々が命懸けで行った問題提起に対し、「自分はその問題を作り出す一端を担っているのではないか」という当事者意識をもち、その問題解決のために何ができるか考え、対話するコミュニティを作ることである。

「若者緊急ステートメント」を出して約1カ月がたったが、残念ながらヤマトでの反応は乏しい。具体的な動きを起こせないという無力感にも駆られる。もっとヤマトのメディアが報道してくれれば、と恨みを言いたくなるときもある。

しかし、問われているのが戦後75年間継続した構造的問題だからこそ、拙速な結論を求めたくはないし、政権やメディアへの批判だけにとどめたくもない。ヤマトンチュ各人の沖縄に対する無知・無関心の歴史的な積み重ねが、政権の沖縄に対する横暴を生み出してきたと思うからだ。