なぜ沖縄では「基地問題」が連日報じられているのか
3月1日~6日、沖縄の遺骨収集家・具志堅隆松氏がハンガーストライキを決行した。戦没者の遺骨の混在が指摘される沖縄本島南部の土砂を辺野古新基地建設の埋め立てに用いる政府の方針に抗議をするためだ。
沖縄のメディアは具志堅氏周辺の動きを連日報道した。ハンガーストライキを開始したこと、戦争体験者が現場で激励したこと、具志堅氏が沖縄県庁で日本外国特派員協会のオンライン会見を受けたこと、最終日に玉城デニー県知事が現場を訪問したことなど、一挙手一投足が報じられた。
一方、ヤマト(※いわゆる日本「本土」のこと。植民地主義的な表現を避けるため、この記事では一貫して「ヤマト」という呼称を用いる)で生活するヤマトンチュ(ヤマトにルーツを持つ日本国民)は、このニュースを知らないのではないか。もしくは具志堅氏の訴えがこれほどまでに沖縄で注目を集めた理由がわからないのではないだろうか。
具志堅氏らの運動は、「沖縄という一地方の政治運動」として矮小化するべきものではない。もしそうなれば、沖縄とヤマトとの分断はますます深まる。私はそんな危機感に駆られ、沖縄県内外の知人に呼び掛けて「具志堅隆松さんのハンガーストライキに応答する若者緊急ステートメント」を出した。
本稿では私がこのステートメントを起草するに至った経緯をまとめつつ、特にヤマトで生活するヤマトンチュに向けて、具志堅氏のハンガーストライキの意味を解説したいと思う。
60年間、遺骨・遺品収容を続けている人の言葉
私が沖縄に関する取り組みを始めたのは、2015年、高校の修学旅行で初めて沖縄を訪ねてからだ。恩師の紹介で、具志堅氏と同様に沖縄戦没者の遺骨・遺品を収容されている国吉勇氏の活動に出会った。国吉氏は6歳で沖縄戦を体験し、高校生の頃から60年間、遺骨・遺品収容を続けている。私が出会った時、国吉氏は現役で、毎日壕に入って収容活動をされていた。
これまで収容された推計十数万点の遺品を保管する私設の「戦争資料館」で、「戦後70年たっても、壕に入れば遺品は毎日出土し、遺骨も毎年数柱は出続ける」と話す国吉氏を前にして、私は沖縄戦の歴史に無知・無関心のまま、沖縄をリゾート地として消費する自分を恥じた。
筆者の小学校は広島に修学旅行に行ったが、その時はしっかり事前学習をし、「原爆の爪痕が残る場所に足を踏み入れるのだ」という心構えで現地に向かった。それなのに、なぜ高校生の私は、沖縄戦を看過して沖縄に行ってしまったのか。その反省から私は沖縄に繰り返し足を運び、国吉氏や他の戦争体験者からの聞き取りを行いつつ、国吉氏からお借りした遺品を全国で展示する活動を始めた。